2014年8月3日日曜日

ウイリアム・グルーリックが行った原爆調査





子ども1000人にX線撮影。原爆調査で無用の被爆


(中国新聞、2014年8月2日)


広島・長崎で1947年9月、米スタンフォード大のウィリアム・グルーリック教授(解剖学)が小学生ら千人を対象に関節のエックス線撮影をしていたことが1日、米アカデミー、研究評議会(NAS・NRC)や米エネルギー省核実験公文書館が所蔵する文書で判明した。

エックス線撮影は、治療の目的ではなく、原爆の放射線が子どもに及ぼす影響を調べる研究の予備調査として実施された。実際の被ばく線量は不明だが、被爆児、比較対照群の被爆していない子を巻き込んだ「無用の被ばく」だった。

教授は健康への悪影響を懸念し、原爆を開発した「マンハッタン計画」で医学部門責任者を務めたスタフォード・ウォーレン博士に事前に相談。放射線医学の権威である博士は「被ばく線量はほんのわずか」と「お墨付き」を与えていた。

翌年、調査は原爆傷害調査委員会(ABCC)に引き継がれ、規模を拡大して53年まで続き、手の撮影が毎年行われたとみられる。

ABCCの上部機関としてNAS・NRCに設置された原爆傷害委員会(CAC)の議事録などによると、調査は47年5月1日に承認され、教授は8月22日、米軍機でグアムから東京に到着。連合国軍総司令部や旧厚生省と協議を重ねた。

その後、国立予防衛生研究所の医師やABCCの米軍医らの協力を得て9月末まで呉、広島、長崎、佐世保を周り、7~13歳の計957人を対象に身長、体重を計り、骨の発達状況を調べるため、病院などで手、ひじ、肩、ひざ、足のエックス線写真を撮影した。(中国新聞)







1947年11月11日付の、"THE NORTHWEST TIMES"、での過去記事にも、ウイリアム・グルーリック[William Walter Greulich]が日本で行った原爆調査のことが書かれてあった。

当時、リアルタイムで書かれ、伝えられたもの。






今回、中国新聞などで伝えられた当時のグルーリック調査のことは以前から研究者には知られていた。

医療行為とは明らかに異なり、検査するためだけの、日本の子供をモルモットにした被曝だ。

記事にはグルーリックが、連合国総司令部、旧厚生省、予研、ABCC等と協議を重ねたことも触れられている。

予研の代表としてグルーリックと協議したのは戦時中731部隊にいた小林六造だ。

後にABCC遺伝調査の一環として極秘に行われた「胎児解剖調査」の中心人物である北村三郎を、グルーリックとの共同研究者としてこの時にABCCが正式指名もしている。

W.グルーリックはABCCの胎動期において、ABCCの調査方針や人選決定、各機関の連携調整にも深く関与し、色濃く影響を与えた人物といえる。



新聞記事にあるグルーリック原爆影響調査の詳細は、1949年3月に行われた米原子力委員会メンバーミーティングの中で報告されていた。

公開された米エネルギー省の公文書。
その中にある「グルーリック報告」の箇所がこちら。

この継続調査は「グルーリック・プロジェクト」と名付けられている。
詳細を知るうえでの資料として以下にそのまま掲載した。