2015年3月28日土曜日

武田邦彦氏の間違いを御本人に指摘してみました〔武田邦彦氏へのメールを公開〕




武田邦彦さんが、2012年頃から「被爆者援護法」について話している機会を時々見かけるようになりました。
谷岡郁子元議員との当時の対談などが you tube で現在も観られますが、お2人とも被爆者援護法についての箇所に関しては誤解した内容を事実のように話しており、それらが間違いであることに当初から私は気がついていました。

2015年3月に武田氏から配信された最新のブログおよび動画でもやはり全く同じ誤認識があり、いまでも武田氏はその間違いに気がついていないようでした。

武田氏が最近の動画配信で話されていたこととは以下です。(配信動画から一部抜粋)






武田邦彦氏

「広島の場合にはですね、実は爆心地から、3.5km以内の人についてはですね、被爆者援護法が適用されまして、まあいろいろな医療とかそういうものを援助するわけですね。

3.5kmって何で決めたの?って言ったら、これ爆弾の大きさで決めたわけじゃなくてですね(笑)やっぱりこれも、1年1ミリシーベルト以上浴びた人は、どうも3.5km以内だった、ということで決まってるんですね。


だから、こういうものはみんなそうで、全てのことがですね、国民をどう守るかということをまず決めて、まあ当然ですね、それに基づいて具体的に実施する人が、実施できる。


たとえば被爆者援護法もですね、原爆で1年1ミリシーベルト以上浴びた人を対象にする、と書いても、お役所はどうにもなんないんで、3.5km圏内って言ったら、その時の住所か居場所を調べればわかる、と。こうなるわけですね。


中略)(福島県地域の)内部被曝を計算しますと、だいたいほぼ、福島県の浜通り、中通りの方々は全員が1年1ミリを超えた可能性がありまして、広島ですと全員が被爆者援護法の対象になります。


えー私はあの、1年1ミリ危険とか安全とか、どのくらいかっていう学問的議論をしてるんじゃなくてですね、やっぱり日本は法治国家ですから、法律で決まっていることは守った方がいい、こう言ってるわけですね、そうしますと、1年1ミリは書いてないじゃないか、と、こういう風になるんですけども(笑)、あの、何ていうか分かって言っておられると思うんですけどね、原発がやりたくてしょうがないんで、まあ嘘ついてると思うんですが。

じゃあその人にですね、食品の100ベクレルとか、原子炉協会の50マイクログレイなんていうのは何で決まってるんですか?と。

被爆者援護法の、3.5kmも何できまってるんですか?って言うと、どういう風に答えるんでしょうかね。

あの一回、誰かあのう、私の面前には、そういう人達出てこないんで、できればこのことの聞いておられる方の、どなたかがですね、えー、1年1ミリなんか法律で決まってないとこう、言われたらですね、それじゃあ、あのう原子炉協会の50マイクログレイだとか、食品安全協会の1キロ100ベクレルとか、被爆者援護法の3.5kmとかは、どういう基準で決まってんですかって言えばですね、白状せざるをえないと思うんですね」





この武田氏の話は「1年1ミリの遵守」が主題テーマで、それら全般ついてや他のところは私も特に異議はないのですが、話の途中で何度も出てくる「被爆者援護法」の解説についてだけは武田氏は誤解されていて様々な点において知識も認識も間違っていました。

もっと率直に言うなら、被爆者援護法についてのところだけは、ずいぶんといい加減な武田氏の想像話を、さも事実であるかのように断言してしまっています。

「1ミリシーベルトを遵守する」という防護の基本概念は非常に重要な話だと思いますし、私個人も賛同しているのは同じですが、事実にないことまで吹聴してしまうのはまずい。
武田氏に悪気などはないのでしょうが学者さんとして軽率ではありますね。

被爆者援護制度について、武田氏の話で誤解がこれ以上拡がる事を重く見た私は武田氏ご本人に直接連絡して、これらの間違いを指摘してみることにしました。

武田氏も「被爆者援護法の、3.5kmも何できまってるんですか?って言うと、どういう風に答えるんでしょうかね」とおっしゃっていることですし、では私がそれについて、本当の事実をお答えしてみましょう、ということで武田氏へ以下の質問メールをまずは出しました。







武田邦彦様



 はじめまして。私は岡 紀夫と申します。

 先日、武田様の動画配信を拝見して、部分的な疑問点がありましたので、ご意見を伺いたいと考え御連絡差し上げました。

 拝見させて頂いた動画はこちらです。 

このお話で触れられている被爆者援護法についての御説明で、「3.5km以内では、1mSv 以上の被爆として被爆者援護法の対象になる」というくだりがありました。

 この点について詳しくうかがいたいのですが、まず、爆心地から3.5km以内である場合、援護法のどの条文により、具体的に、どのような施策を受けられるということを仰っているのでしょうか

 また、逆に、3.5km以遠では、被爆者援護法の対象にはならない、ということでしょうか。

 これは先に率直に申し上げたいのですが、私は1ミリシーベルトの政策そのものについて反対している者(原発推進派)などではありません。

 ただ、武田様のお話の中で被爆者援護法に関する箇所のみ、私には腑に落ちない部分がありましたので、メールで直接お話をさせていただきたく思いました。

 お忙しいところを大変恐れいりますが、これらの質問について武田様の御回答をいただければ幸いです。

 どうぞよろしくお願いいたします。


        岡 紀夫



これに対し武田氏から短くはありましたが返信を頂きました。
武田氏のメールそのものを私から公開することは控えますが、頂いた返信の要点は主に以下でした。


1.自分(武田氏)の調べでは、そうだった。

2.1年1ミリというのは法律の規制を決めるもとになるもので法律そのものには(表には)出ない。

3.(被爆者援護法の1mSvとは)基準を決める数値である。







この返信から私がまず感じたのは、やはり予想通り武田氏が被爆者援護法の法律や、それに関連する制度について詳しいことを何も御存知ないということでした。
法律と制度の関係や種類についてなど初歩的な知識や分類の認識から、すでに間違っていました。ごく表面的な知識しか御存知ありません。

そこで再度、私から以下の詳細なメールを出しました。




武田様 


 ご多忙のなか、御返信ありがとうございました。

 頂いた御回答の中で、「法律そのものにはでません」との御指摘は、私もその通りであると思います。

 そして、法律にでない、を私なりに少し申し替えるとすれば線量規定の文書は存在しない」となります。

 前回のメールで私が少し質問をさせていただいた理由を申しますと、恐縮ながら法律(被爆者援護法のみに限ってのお話です)について、いくつかの誤認識と知識不足があるのでは、と感じているからです。

 被爆者援護法は通称名であり、正式名称では正確には「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」のことをさします。

被爆者援護政策全般において骨格となる、この法律の中には、線量についての基準および数値などは何も記されていません。

 「被爆者援護法 (原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律) には線量規定の条文はない」ということ、それがまず最初に私から確認させていただきたい一点目になります

 では、武田様がお話されている「3.5km」や「1mSv」などの数値は何のお話であるのか、ということになりますが、これは厚生労働省が行政庁として定めている原爆症認定基準のなかで扱われる距離や線量数値のことで、つまり行政基準であり内規定の話です。

 これは、行政(この場合、厚労省)が実際に法を運用するにあたって「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の条文に則った解釈を行い、その二次的な規定としてさらに加えて定められるものです。

 「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」と「原爆症認定基準」の両者をひっくるめて援護施策の大まかなひとつとして「被爆者援護法」と呼ばれる場合も現実にしばしばあるので、それは間違いとまでは言い切れませんが、しかし不正確で厳密さには欠けます。
本来は、その二つは次元の違うものとして分けて捉えるべきものであること、きちんと区別して論じられるべきものであること、これが確認させていただきたい第二点目です。

 武田様の「3.5km以内では被爆者援護法の対象になる」は、私から観ると大雑把というか、かなり不正確な表現に思えます。(失礼な言い方ですみません)

 それでは、それら(二つの確認事項)を前提のうえで私が申し上げたいこととは何であるのか、ということなのですが、武田様の「1mSvで被爆者援護法の対象となる」というのは明らかな誤認識であり事実ではないということです。

 この誤認識が拡がることは、現在でもまだ困難な状況に置かれている被爆者の方々について、救済運動を推進するうえで理解を得ていくためには困る問題です。
ただでさえ社会から事情を理解されにくい被爆者が、被爆者援護医療を受ける際、まるで厚待遇を受けているかのごとく、さらにあらぬ誤解や偏見をうけかねない懸念があるからです。

 法律(正確には原爆症認定基準)には表に出ないが、1mSvが3.5kmの距離を定めるうえでの根拠となっているため、それはほぼ同義だと捉えてもよい、とすれば1mSvの被爆で援護法の対象になっているといえる、というのがおそらく武田様の仰っていることではないかと思います

 しかしそれは法的には正しい認識ではありません。
線量規定がない「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の話においては当然のことながら、後者の「原爆症認定基準」(これもやはり同じく線量規定はない)においても、1mSvの被爆で対象になっている、というのは間違いなのです。

 厚労省が3.5km地点を約1ミリシーベルトの被爆線量であるとし、DS02 に依拠した推定値を根拠にそう説明していることはその通りです。
ですが、この場合での1mSvとは、


(1)「放射線起因性を1mSvで認める」


というものではなく、基準策定において国側の有する知見に基づき


(2)「政策的判断として示された距離限界の目安」


の意味で説明されたものです。
行政側(厚生労働省)から、2008年時の新基準策定以降、はっきりとそう説明されている趣旨のものである、という話の経緯や詳細をおそらく御存知なく、そこを正しく御理解されていないのではと感じます。

 距離や時間の外枠によって基準を設けること、これを通称で「外形基準」とよびます。
外枠を設定し、それらで起因性を判断するというコンセプトです。
そしてこれは「線量基準」に対する別の基準概念です。

 この(1)と(2)の違い、外形基準と線量基準の違いが、基準運用に際してはどう影響し、実際の援護施策では何が変化するのか、それは現行の認定基準(外形基準)が策定された過去の事実経緯や集団訴訟の話まで遡らなければらない複雑で長い話になってしまうのですが、運用実態へと深く影響し、かかわってきます。
ですから、この点での正しい理解は重要なポイントのひとつなのです。

まだ沢山ありますが、申し上げたいことを一度にお話しきれません。
ですので、ここまでで一旦区切ることに致します。

 とりあえずまとめますと、



その〔1〕。「1mSvの被爆で(広島、長崎では)被爆者援護法の対象となる」は間違いである。

その〔2〕。3.5km以内でも、それ以遠の距離でも被爆者援護法の対象者はいる。
また、3.5kmや1mSvという数字は被爆者援護法(正確には「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」)そのものには定められているものではない。

その〔3〕。3.5km以内とは、被爆者援護法においてではなく、「原爆症認定基準内での、がんや白血病等の一部疾患についての積極認定範囲」として扱われている距離、が正確な表現である。
また現在、非がん疾患については2kmおよび1.5kmである。

その〔4〕。「原爆症認定基準」においては、3.5kmという距離規定は存在するが、1mSvという線量規定はない。

その〔5〕。「原爆症認定基準」において、1mSvの線量を理由として認定対象になるという事実はない。

その〔6〕。3.5kmという距離での被爆をもって「放射線起因性あり」とし認定が行われることと、1mSvの被爆をもって放射線起因性ありとし認定が行われることの二つは、法的観点からも運用面でも一見、同義のようにもみえるが、実は同じ意味では全くない。
したがって現実でも同じ結果にはならない。




 以上となります。

 これらにかかる話になりますので、またひとつあえて質問させて頂きたいのは、「1mSv以上が対象」だとお考えならば、逆に、国による被爆線量推定で1mSvに達しない被爆者、つまり
「3.5km【以遠】で、初期放射線が1mSv未満となる被爆」では援護対象にはなることはない、とお考えなのでしょうか。

 長くなりました。お読みくださり、ありがとうございます。
できましたら、お時間のある時にでも再度お返事頂けたら嬉しく思います。

  岡 紀夫






これに対して武田氏から再度頂いた返信は「冷静でしっかりした議論ができることをうれしく思います」とあり、武田氏が現在考察している放射線防護の規制値についてなどの自論が箇条書きで何項目かで詳しく書かれてありました。
一回目よりはずっと丁寧な返信を頂きました。

しかし、私が話をしたいと思っている肝心の「被爆者援護法の議題」については何もそこに語られてはおらず、武田氏は私からの指摘についても一切答えていませんでした。
これには私も少々困惑気味で、正直、何だかはぐらかされた気がしないでもありません。

そこで再度、私からメールで、もう理解はして頂けたかどうかの確認と、武田氏が間違って発言されている箇所の訂正だけ、お願いしてみることにしました。







 先日はありがとうございました。

 さて、前回までのお話、被爆者援護法に関する件ですが、武田様の御発言「1mSvで被爆者援護法の対象になる」の認識は誤りである、という私の指摘について、御理解は頂けていますでしょうか。

 この点について反論などがおありでしたら、指摘していただければ私からそれらについて再度お答え致します。

 もし今は御理解を頂けているのであれば、この部分のみについて何らかの形で武田様の方から訂正の旨、情報発信などを早めにお願いできればと思っております。

 公開される部分に関しての御相談などあらかじめして頂ければ、私から差し上げたメールを使用して頂くことも差し支えありません

 御検討頂ければ幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。






これに対して武田氏から返ってきた返信の要点は以下です。


(1)「私(武田氏)は、1ミリ以下の被曝が推定される場合に援護法の対象にならないとか、1ミリ以上の場合で疾患が出た場合、それが必ず援護法の対象になるとか、そう考えている訳ではない」

(2)(武田氏が言いたい事とは)「3.5kmと行政が決めたのは、1年1ミリを念頭に置いている」ということ。

(3)「(被爆者援護法も)1年1ミリが基準になった」という記録を見た。

(4)「3.5kmの基準について述べているのであり、認定のことには触れていないつもり」



との返事でした。

特に、1.に関しては、何やら最初とは武田氏の話が違ってきているような・・・。
2.および、3.についても正確な事実経緯を御存知ないまま、まだ勘違い(想像)されています。
また、4に至っては意味が矛盾しており、ちょっと理解しにくい文章です。


私が「訂正」のお願いをしてみた途端、武田氏の態度が急に硬化したというように私には思えました。


これらについて武田氏から質問されましたので、また再度、メールをしました。
武田氏が何をご存知なく根本的な勘違いをされているのか、今度はかなり詳細に以下のように説明してみました。







 被爆者援護施策のひとつである原爆症認定制度に採用された、3.5kmという距離(非がん疾患では2km、および1.5km)というのは純然たる「基準」のお話になります。
この距離は厚労省が行う原爆症認定行政で「何をもって放射線起因性判断がなされるのか」という線引きですから直接的な基準そのものの話です。
ですから「3.5kmの基準について述べているのであり、認定のことにはふれていないつもりですが」とのおっしゃる意味が矛盾しており私には解りません。

 3.5kmは、がん等の確率的影響とされる一部疾病について原爆症認定の「積極認定対象」となるかどうかの距離範囲です。
直接被爆者のがん疾患ほか二種類の疾病は、この距離によって爆心地からの内側か外側かに分けられ、内側であれば「格段に反対すべき事由がない限り」認定されると判断されるものです。

 そして上記は直接被爆者のみにあてはめる基準であり、入市被爆者の場合はまた別に「距離プラス時間」の外形基準が設定されています。

 ちなみに入市被爆者の場合は初期放射線被爆はゼロです。

 その事実ひとつからも直接被爆者の初期放射線や爆心地からの直線距離だけを論じて「1mSvで対象となる」というお話は破綻しているのです。

 「対象」となる者を行政側が判断するにあたり、果たして3.5kmに説明されているこの「1mSv」が対象を判断するための裏基準であるのかどうか、というお話ではないのでしょうか。

 そうであれば、「それは基準ではありません」というのが前回から私が指摘させて頂いていることです。

 仮に1mSvが表に出ない「裏」基準としてのお話であるとしたところで、それは変わりません。

 また、被爆者援護法(原子爆弾に対する援護に関する法律)においての「対象」についてであるならば、3.5kmという距離の話は関係ありません。
ですので、3.5kmという距離区分に言及されるというのであれば、それは必ず原爆症認定基準についてであり、その積極認定「対象者」を判断する基準に限ってのお話となります。

「1年1ミリが基準になったという記録を見た」、「3.5kmと決めたのは1年1ミリを念頭に置いている」と仰る記録(資料)が何であるか、頂いた文面のみでは定かではありませんが、たとえば以下のようなことでしょうか。



〔1〕 「自然界の放射線量(1mSv)を超える放射線を受けたと考えられ、被爆地点が約3.5km前後であるもの」

 あるいは...

〔2〕 「積極的認定は、被爆地点が、3.5kmの初期放射線による被ばく線量は、自然界で人が1年に浴びるとされる1ミリシーベルトを超えるとされている点に着眼されたもの」




 もしもこれらのことであるならば、御指摘されているような、1年1ミリが(距離を決める)「基準になった」わけではありません。
この1mSvとは、定められている距離基準について国側が政策判断の目安として「見解」を後から提示しているに過ぎないのです。
そしてこの1mSv自体は放射線起因性を判断するための「基準」ではありません(それに対して、3.5kmという距離は判断するための基準です)。

1mSvは単なる見解ですから当然、法的有効性などありませんので、1mSvの被爆を理由として「被爆者援護法の対象」となることはありませんし、また1mSvの被爆を理由として「原爆症認定の対象」とされることもありません。
そのような運用事実もありません。
被爆者援護法(原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律)にも、(平成20年以降の)原爆症認定制度(行政)にも線量基準は存在しないことは前回もお伝えしました。

 2007年中頃から2008年初旬の時期にかけて、現行の審査基準の原型が策定された頃の事実経緯を詳細に御理解いただく必要があろうかと思います。
行政(厚労省)が最初から1mSvを念頭に置いて、それを根拠にして3.5kmという距離の線引きを決めたわけではないのです。

 この3.5kmを認定距離とする案を作成したのは厚労省ではなく当時の与党議員プロジェクトチームでした。
長く複雑な話ですので、ここで全ての御説明は無理なのですが、簡単に申しますと、原案作成にあたっては主に司法判決の結果を重視した政治判断に基づき、初めは4kmの原案をつくりました。
その後、認定人数を試算してみて弱腰になり3km案に縮小したものの、すぐに被爆者団体から猛抗議されたため
3.5km案に修正したという経緯があります。

 その頃、平行して新基準案の作成がなされていたもうひとつの「厚労省の在り方検討会答申案」もあり、与党PT案とは別案としてまとめられていきます。
07年末に両案がほぼ同時に提出されました。
それらは互いに水と油の関係で相容れない内容でしたが、しかし結局、集団訴訟で連敗中であった厚労省は司法や世論からの批判と風当たりを受けていたため、被爆者救済の意向がより反映された与党PT原案をほぼ丸呑みせざるを得なくなった、という経緯があるのです。

在り方検討会答申は従来型の個人被爆線量推定手法に固執した基準案(線量基準)、与党PTは被爆実態と司法判断を重視し、「一定の距離枠、一定の時間枠」を設けた案(外形基準)でした。

 「与党PT提言」と「在り方検討会答申」の両案を07年12月末に受け取った厚労省は、最終的な正式基準を定めて発表する前段階として、医療分科会審議会へ提出するための下書き案、「新しい審査方針のイメージ案」をまとめ、各方面が更に協議を重ねるためとして暫定発表しました(2008年1月)。
厚労省はそこで初めて、1mSv云々の文言を、新基準案の骨格として採用される予定だった与党PT原案の3.5kmの文章箇所につけ加えたのです。
もともと与党PT案は旧来の個人被爆線量評価手法を排除する目的で作られたものであり、線量に関する記述などは一切ないものでした。
そこ(外形基準)に1mSvの文言を厚労省が後付けして加え、暫定イメージ案(素案)として発表し医療分科会に提出したのです。

 厚労省が何故そのようなことをしたのか、その理由ですが、それ以前までは、この距離(2km以遠)で原爆症は存在しない(放射線被ばくはない)のだと国は強硬に主張し続けてきました。
そのため、与党PT原案をしぶしぶ採用する流れになり厚労省は慌てました。
国側の知見と旧審査方針では「2.5km以遠での被爆量は、ほぼゼロ」であるとしていましたから、今度の与党PT案を採用すれば国の線量評価では被爆がゼロであるはずの場所、国の主張では被爆がないはずの場所まで範囲を拡げ、認定基準として定め、原爆症認定が行われることになります。

 (こうした従来からの国の見解(主張)とは反する一例を挙げると、原爆症認定訴訟の横浜地裁で、被爆地点 5.4km の中咽頭がんの原告男性に「原爆症を発症するに足りる相当量の被ばくをした」と判決が下され、国に勝訴し、原爆症として認められています。
こうした判決は集団訴訟で多数積み重なりました。)(司法と行政の乖離)

直接被爆者3.5km」について、厚労省としてはどうしても何らかの建前になる説明をつけねばならない。
そこでこの1mSvの見解を捻り出してきて「ほぼゼロ」を言い換え、もっともらしくそこに厚労省側の「解釈」として付け足したのです。それが〔1〕です。

この〔1〕の文章は、単に厚労省の「解釈」、「見解」ですから、本決まりとして最終発表された認定基準「新しい審査の方針」からは「自然界の放射線量(1mSv)を超える放射線を受けたと考えられ~」の部分は削除されています。
万が一、この文言をそのまま「基準」に入れてしまうとなれば、本当に1mSv以上の膨大な原爆症認定を全て行わなければならないことになります。
財政面から観ただけでも、それは現実にありえない事でしょう。

 ですから厚労省が苦肉の策として加えたこの1mSvの文言も、その後の医療分科会審議会では当然のごとく「この文言は入れるべきでない」と委員たちから強い批判がなされました。
結果、08年3月に公表された正式基準「新しい審査の方針」の中に、これ(1mSv)は入りませんでした。
結局まわり回って与党PT案の元の内容が、ほぼそのまま新基準となって通るということで落ち着いたわけです
つまり1mSvの文言箇所は新審査基準を策定する経過途上で編み出された厚労省の「言い訳」であり、その段階のみでとどまっている見解です。

 官僚もそこはしたたかに計算していますので、「1mSvで原爆症認定の対象になる」という、国にとって大変都合の悪い事態にだけは間違ってもならないように認定距離についての「見解」の位置付けとしてだけ据え、法文から除外してあるのです。
基準には明示されていないので法的な効力はありませんし、運用に際しての線量整合性も必要ありません。
したがって、これは「裏基準」としてさえ成立しておらず、早く言えば国が、ただ口先だけで言っているような代物、ということです。

 また、この見解にある1mSvは、まるで「裏防護基準」のように受け取られて誤解される場合が非常に多いのですが、そうではなく、本当の意味を私が翻訳しますと、

「これ以遠の直接被爆距離(自然放射線量にも満たないほどの原爆放射線被爆)での原爆症の存在は我々(国側)の知見から鑑みて科学的に到底ありえない。
したがって、これ以上、原爆症認定距離の拡大などは断じて行い得ない。
その正当な科学的必然性をもった限界値として示されている政策判断の目安(1mSv)である」

 という厚労省側の強固な姿勢のあらわれと主張であり被爆者側に対しての牽制なのです。
(司法から批判され訴訟で連敗していながら、いまだ「我々(国)の線量評価手法は正当なものである」としてホームページ等でそれを誇示しているのです。)

 つまり、これは放射線防護の概念から導き出された(1mSv)などではなく、線引きによる被爆者切り捨てや被害矮小化に国がこれまで利用してきた根拠の残骸、被爆の過小評価や被ばく受忍論の象徴のようなもの、がその正体であるわけです。

 それをあたかも、少ない被害であっても被爆者を保護しているかのように表向きでは政府も振る舞いますし、官僚も都合のよい方便として使うため、尚のこと、この点で世間の誤解が絶えません。
しかしそこに何ら1mSv運用の実体などはなく、ましてや放射線起因性を判断するための基準でもありません。
また仰るような防護基準概念の根拠でもありません。
むしろ長年の切捨て行政の論理を含む、ただの国の「見解」に過ぎない。
それがこの「1mSv」についての正しい事実および認識であるということ。私が指摘し述べさせて頂いている趣旨です。

 
  岡 紀夫






この後、しばらくを経て武田邦彦氏から突然、再び返事を頂きました。


「科学と法律、または援護などとの思考経路の違いが分かりました。すぐ時間がとれないので、お書きになったことは私なりに理解しましたので、今後はそれにそって書いていこうと思っています」

武田



とのことで、御自分の間違いを理解していただけたそうです。







2015年3月25日水曜日

黒い雨:「被爆者と認めて」36人が手帳申請 訴訟辞さぬ構え  /広島





黒い雨:「被爆者と認めて」36人が手帳申請 訴訟辞さぬ構え /広島

毎日新聞 2015年03月24日 地方版

被爆者と認めてほしい−−。原爆投下直後に降った黒い雨に遭った住民36人が23日、広島市役所に被爆者健康手帳を集団申請した。申請後に同市役所で記者会見した県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会のメンバーは、自身の健康被害や申請を前に亡くなった仲間への思いを語り、申請が却下された場合は司法判断に委ねる決意を語った。【加藤小夜】

この日、同協議会のメンバーや支援者ら約40人が広島市役所を訪れ、36人分の被爆者健康手帳と第1種健康診断受診者証の交付を申請。市原爆被害対策部援護課の職員が一人ずつ書類を確認しながら受けとった。
爆心地の北約17キロの旧亀山村西綾ケ谷(現安佐北区可部町綾ケ谷)で国民学校からの帰り道に黒い雨を浴びた清水博さん(77)=安佐北区=は、「びしょぬれになったから、放射能(の影響)はひどかったと思う」と振り返った。10代後半から胃の調子が悪く、40代で胃潰瘍を患った。58歳の時に胃がんが見つかり全摘出した。86キロあった体重は20キロ近く減ったという。「戦争を起こした結果、原爆が落とされた責任を国にとってほしい」と訴えた。
また、爆心地から西約9キロの自宅前で黒い雨に遭った高東征二さん(74)=佐伯区=は、肺がんで命を落とした同級生や、倦怠(けんたい)感に悩まされ続けて亡くなった男性を紹介し、「彼らのためにも、力の限り訴えたい」と語った。
同協議会の牧野一見事務局長は「広島市はできるだけ早く回答を出してほしい。却下されれば、訴訟に向けた準備を進めるだけだ」と話した。
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◇国、自主的に事実解明を

「黒い雨」の健康被害について、国が主導して実態調査をしたことはなく、体験者側に被害の立証責任を求めてきた。訴訟を視野に入れた今回の集団申請は、一連の原爆症認定訴訟で「疑わしきは認める」と積極認定を国に促してきた司法への期待がある。
現行の援護対象区域は被爆直後、気象台技師らが使命感から調査した結果に基づくが、当時の要員や資金などの事情から詳細な調査はできていない。より広範囲で雨が降った可能性が指摘され、広島市と県は2010年、区域の大幅拡大を国に求めた。その根拠となるアンケート調査は被爆から60年以上たって実施されたものだ。国側は記憶の曖昧さなどを理由に「科学的・合理的根拠がない」と退けたが、戦後の早い時期に本格的な調査をしなかったことが尾を引いている。

原爆症認定訴訟で国は敗訴を重ね、段階的に認定基準を緩和したが、その後も提訴が続き抜本的解決になったとは言い難い。高齢化した黒い雨の体験者が司法で争う時間は多くない。黒い雨は内部被ばくの問題など現代の原発被害に連なる課題をはらんでいる。司法の判断を待つだけでなく、国や科学界は事実解明に努める義務がある。
【加藤小夜】




「黒い雨、私も浴びた」区域外36人、被爆者手帳を申請





「黒い雨、私も浴びた」区域外36人、被爆者手帳を申請

  2015年3月24日
朝日新聞

70年前の原爆投下直後に降った「黒い雨」で被爆したと認めてほしい――。広島市で暮らす80~70代の男女36人が23日、被爆者健康手帳などの交付を求めて集団申請した。公的な援護の枠の外に置かれ続け、すでに亡くなった人も少なくないという。「もう時間がない」。申請者は切実な思いで行政の扉をたたいた。

「黒い雨」が降った地域と援護区域

36人の内訳は男性18人、女性18人。1945年8月6日に米軍が原爆を投下した時に広島市やその周辺に住んでおり、投下直後に降った「黒い雨」を浴びたと訴えている。24日には、広島県の安芸高田市と安芸太田町の計6人が県に申請することにしている。
国は76年、被爆者援護法にもとづいて「黒い雨」が激しく降った地域(大雨地域)を援護の対象区域に指定。この区域で雨を浴びた人には、被爆者と同じ健康診断を受けられる「第一種健康診断受診者証」を交付するようになった。また、がんなどの疾病にかかった人は被爆者健康手帳に切り替えられるようにした。
これに対し、広島県と広島市は2008年度の調査で「援護対象区域の6倍の範囲で黒い雨が降った可能性がある」として国に区域の拡大を求めた。しかし、厚生労働省の検討会はこの可能性を認めず、国は区域を拡大しなかった。
「黒い雨」を浴びたと訴え、被爆者健康手帳の交付などを申請する人たち=23日、広島市中区の広島市役所
23日に集団申請した36人は「援護の対象区域があまりに狭い」と訴え、第一種健康診断受診者証の交付を申請。「放射性物質を含む黒い雨の影響を受けた」とし、被爆者健康手帳の交付も求めている。申請が認められなかった場合は「司法の判断を仰ぎたい」としており、集団提訴をする構えだ。
広島市援護課は「厚労省と協議し、適正に判断していく」としている。

■「命の限り、国の姿勢問う」
「すでに亡くなった人もいます」。被爆者健康手帳の交付などを求める36人のうち十数人が広島市内で記者会見し、集団申請に踏み切った思いを語った。その中に、胃がんや白内障と闘う高野正明さん(76)がいた。

70年前の8月6日。高野さんは爆心地から北西に20キロほど離れた広島県上水内村(現・広島市佐伯区湯来町)の国民学校で朝礼中だった。突然、閃光(せんこう)が走り、数秒後に爆音が響いた。家に戻る途中、山の上にきのこ雲が見えた。紙や木片が空から舞い落ち、中には爆心地近くの銀行支店の伝票もあったという。
しばらくして周囲が暗くなり、夕立のような雨が降ってきた。「雨に触れると粘り気があり、油っぽかった」。高野さんは当時を振り返る。家に帰って服をゆすいだが、なかなか落ちなかったという。
その後、谷の水を飲み、畑の野菜を食べた。下痢や高熱が続き、高校生のころまで鼻血や貧血に悩まされた。だが、上水内村は国が認める「黒い雨」の大雨区域の外側。高野さんは「広島県『黒い雨』原爆被害者の会連絡協議会」の会長として援護区域の拡大を求め続けたものの、国に願いは届かなかった。
泣き寝入りせず、新たな形で訴えるほかない――。高野さんら援護区域の外で「黒い雨」を浴びたと訴える人たちはこう考え、今回の集団申請を決めた。「命ある限り、被爆した人を地域で線引きする国の姿勢を問い続けたい」。高野さんは思っている。
【岡本玄】


〈黒い雨〉 原爆投下後に降った放射性物質を含む雨を指す。国は1976年、広島市の爆心地の「東西約11キロ」「南北約19キロ」で大雨が降ったとして、公費で健康診断が受けられる援護区域に指定した。小雨だったとされる地域、広島県と8市町が「黒い雨が降った」とする区域の人には健康相談が実施されている。援護区域は長崎でも指定されている。区域外で黒い雨の影響などを訴える人が被爆者と同じ対応を求める訴訟を起こしたが、長崎地裁は2012年に「証拠がない」と判断。控訴審が続いている。

■広島に降った「黒い雨」をめぐる主な動き
1945年8月 原爆の投下後、放射性物質やちりを含んだ「黒い雨」が降る
53年 日本学術会議の原子爆弾被害調査報告集で広島管区気象台の気象技師が東西11キロ、南北19キロで「激しい雨が降った」と発表
57年 原爆医療法が施行され、被爆者健康手帳の交付開始
68年 原爆特別措置法が施行され、被爆者への健康管理手当などの支給開始
76年 原爆投下後に大雨が降った地域が健康診断特例地域に指定される
78年 「広島県『黒い雨』原爆被害者の会連絡協議会」の前身団体ができる
95年 原爆医療法と原爆特別措置法を一本化した被爆者援護法が施行
2010年7月 広島県と広島市などの首長が健康診断特例地域の拡大を求める要望書を国に提出
12年7月 厚生労働省の検討会が援護地域外での放射線による身体的影響について「科学的判断は困難」と結論。国が拡大を見送る





2015年3月14日土曜日

被爆体験者 進まぬ救済、募る不満 /長崎





市政検証:’15長崎・佐世保/2 

被爆体験者 進まぬ救済、募る不満 /長崎

毎日新聞 2015年03月13日 地方版

「市長は私たちと同じ立場に立って被爆体験者問題を解消すべく努力することが本来の使命ではないか」。2月5日、被爆者5団体の代表が長崎市の田上富久市長と面会した席で、県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(75)が強い口調で迫った。

川野議長は、被爆体験者約560人が被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の原告を支援している。手帳の交付審査は、長崎市や県が国から受けた法定受託事務であり、手帳交付申請の却下処分取り消しを求めたこの訴訟では、長崎市は県や国とともに「被告」の立場となる。
「長崎(原爆)は空中核爆発であり、そもそも放射性降下物そのものが極めて少なかった」「原爆の放射性降下物による内部被ばくは無視できるレベルのもの」「(原告が被爆による急性症状と主張する下痢や脱毛は)戦時中、戦後間もない混乱期では、感染症、栄養失調、ストレスに起因すると見る他はない」。「被爆都市」である長崎市も、被告としてこうした主張を展開する。
川野議長は「どうして我々と市が、原告と被告の立場で争わなければならないのか」と、長崎市の姿勢に疑問を呈した。
被爆体験者は、長崎の爆心地から12キロ以内で原爆に遭いながら、南北に細長い国指定の被爆地域の外にいたために被爆者と認められない人たちだ。被爆者と認められると医療費の窓口負担が原則生じないほか、健康障害などに伴って手当が支給されるが、被爆体験者の医療費助成は精神疾患などに限定され、手当はない。被爆体験者精神医療受給者証所持者は、県内に6957人、うち長崎市内に5577人いる。
長崎市などが繰り返し被爆地域の拡大を要望し、国は2002年に医療費助成を開始したが、その後、市は国に被爆地域拡大を公式に要望していない。「固い扉を市長が先頭に立ってもう一回、突き破ろうという意思はないか」。市議からも解決に向け、市が積極的に動くよう求める声が上がる。
被爆者5団体との面談で、田上市長は「国との交渉の中で科学的根拠というものが必ず求められる。棒高跳びの棒のようなものがないと壁は越えられない」と話し、専門家による「原爆放射線影響研究会」を設置して国に被爆地域拡大を求めるための根拠を探している、と説明した。
しかし市側は、本田孝也・県保険医協会長を研究会委員にするようにとの被爆体験者団体の求めに応じなかった。本田氏は米マンハッタン管区原爆調査団の放射線測定データを基に、被爆地域外でも健康被害があった可能性を指摘する医師だ。研究会は13年12月の発足以降、わずか3回しか開かれていない。
被爆体験者訴訟の原告は既に55人が死亡した。毎月9日、長崎市役所前で手帳交付を訴える第1陣原告団の岩永千代子事務局長(79)は「市長は平和宣言などで、世界に高らかに『核兵器廃絶』を訴えながら、足元の私たちをなぜ救済しないのか」と語った。

【樋口岳大】

〔長崎版〕