2014年6月29日日曜日

永井隆の著書を監視した米原子力委員会





永井隆の死から約半年後。マンハッタン計画に参加していた米国女性科学者が、永井の著書「私たちは長崎にいた (We of Nagasaki)」の内容について「(問題があり何らかの)対処をするべき」と、米国原子力委員会、Shields.Warren 宛てに報告している。それは本の中に書かれた「残留放射能の被爆被害」についての記述部分を問題視するものだった。
現在、米国エネルギー省のサイトでも一般公開されてはいるものの、大部分がフィルターで黒く塗りつぶされてしまっている。


その隠された部分を含む全文を以下に掲載してみた。文面からは、永井の著書の記述を監視し、そこに日本人への世論操作の思惑が米国側にあったこと、また、残留放射能の被害を一般に広く知られることに非常に神経を尖らせている様子などがうかがえる。




〔米エネルギー省のサイトでは現在、このような状態で公開〕








〔黒塗りをはずした全文〕






〔拡大〕






この文書の送り主は、Edith H.Quimby という女性学者である。この人物の詳細については、こちらの英語サイト(① ② ③)に詳しく書かれてあった。マンハッタン計画に参画している。



 http://biography.yourdictionary.com/edith-h-quimby



 http://what-when-how.com/scientists/quimby-edith-h-1891-1982-american-biophysicist-scientist/


③〔ウィキペディア〕 http://en.wikipedia.org/wiki/Edith_Quimby






では、E.H.Quimby が問題視した永井の本の記述部分とは、一体どのようなものだったのだろう。


英語タイトル "We of Nagasaki" は「私たちは長崎にいた」という邦題で出版されている。長崎の原爆体験を複数の人物がそれぞれ回想録として語ったものを永井が編集し、そこに永井自身の執筆作品も加えた証言集だ。この本で永井が書いた「ひび」という短編作品の中に、Quimby が問題として報告したと思われる記述があった。以下がその部分である。




私たちは長崎にいた「ひび」より抜粋


『 第一に崩れ去ったのが、残った放射能への恐れでした。爆裂のすぐあとでは、この浦上の地面は強い放射能をもっていたため、ここを歩いて通り過ぎただけで放射線による急性症状を起し、下痢をしたものです。下痢患者があまりに多いので、赤痢ではないかと疑われたほどでした。焼け跡の片づけをして地面に親しんだ者は、全身におびただしい放射線を受け、重い原子病にかかり、死んだ者も少なくありませんでした。ことに、死体は強い放射線を得ていたので、死体をたくさん取り扱った者は重い症状を現しました。骨の中の燐(リン)が、原子爆弾から出た放射線に叩かれて、放射性に変わったのでした 』



これは、まさに原爆「残留放射能」の被爆実態を、ありのまま記した文章だ。浦上は爆心付近であり、同時に西洋の宗教的意味合いを含む「象徴」ともいえる場所。そこで誘導放射線や残留放射能の被害が起きた様子や、片づけや死者を扱った者にも二次被爆が起きたことが書かれてある。後に法的に認められた「被爆者」として被爆者手帳分類枠に定められることになる「入市被爆者」および「救護被爆者」という被爆概念だ。「原爆の被爆は直接被爆で即死したものだけ」という当時の米国の公式発表とは、当然相容れないものだろう。二次被爆にもかかわらず「死んだ者も少なくない」の永井の記述は、確かにあからさまだ。そこに Quimby がナーバスに反応したのも頷ける。


また、Quimby は以下の永井の記述にも「問題あり」と報告している。



『 初めの年には(農作物の)収穫が減りました。(中略)ところが第二年目には、一般に、驚くような増収がありました。そして、いろいろの奇形が現れました 』



原爆の後、植物が一時的に異常な伸び方をしたり植物奇形が見つかった話は、原爆体験者の証言でよく聞かれる。学術報告でも数多く記録が残されている。後にABCC新生児遺伝調査を指揮した J.V.Neel も、原爆後に出現した様々な植物奇形を興奮気味に米国へ報告している。だが、原爆放射能による遺伝影響についても「否定しなければならない」という当時の(現在も同様)米国のスタンスを、この Quimby 文書であらためて窺い知ることができる。たとえそれが人間ではなく植物の話であっても「No」ということなのだろう。科学的調査の前に政治的結論が既に決まっていることが非常によくわかる。

原爆被害についての米国の建前と本音が、この Quimby 報告文書からは透けて見えるようだ。しかし更に言うならば、原爆について語られた本の発行という当時としては異例の扱いで許可されていた永井作品の影響力は、米国にとっても、日本人(特に長崎市民)の世論操作における利用価値があると考えているフシが読み取れる。Quimby の文章を読むと、Warren に米国側としての対応を要求しながらも表立って永井を否定する方法自体は避ける意図をあらわしており、そこには事情の複雑さが現れていて興味深い。

個人的な話になるが、私(管理人)は生前の永井を直接よく知る人物たちと会い、いろいろと永井の話を聞いたことがある。それぞれに別の場所で別の人達から話を聞いている。その中には当時の長崎医科大学の関係者、つまり永井の同僚だった人もいる。そしてそこでは、永井隆の人物像や評価が人によって極端に分かれていた。大変ほめる人がいるかと思えば、嫌ったり悪口を言ったりする人もいる。二面性があったと言う人や暴力的な一面があったと言う人、功名心がすごかったと言う人、考え方が偏っていると言う人。かと思えば、あんな魅力的な人物はいないと絶賛する人もいた。


この Quimby 文書もそれに似た感触がある。永井隆という人物をどう捉え評価するか、それは複雑なことが様々に絡み合っており容易ではない。この Quimby 文書や他の経緯しかり、米国と永井の奇妙な関係しかり。私達の知らない裏側の話は、おそらくまだ多いのだろう。























被爆体験者集団訴訟: 国側、意見書で反論 /長崎(毎日新聞)





被爆体験者集団訴訟:控訴審 国側、意見書で反論 /長崎





毎日新聞 2013年10月22日 地方版

長崎の爆心から12キロ以内で原爆に遭った被爆体験者388人が国と県、長崎市に被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の口頭弁論が21日、福岡高裁(古賀寛裁判長)であり、国側が専門家の意見書を提出。原告側が提出していた広範囲で放射性降下物の影響があったとする県保険医協会の本田孝也会長らの意見書に反論した。

国側の意見書を作成したのは鈴木元・国際医療福祉大クリニック教授ら。本田会長は、1945年9〜10月に米軍マンハッタン管区原爆調査団が長崎で測定したデータを基に「被爆地域外を含む広範囲で放射性降下物の影響があった」と主張しているが、国側意見書は「いくつもの独断的な仮定が入っており、信ぴょう性は低い」などと反論した。

高裁前で開いた集会で原告団の上戸大典副会長(71)は「行政区域に沿って決められた不合理で非科学的な被爆地域の線引きを認めるわけにはいかない。勝利するまで闘う」と訴えた。
【樋口岳大】
〔長崎版〕





2014年6月14日土曜日

〔泉田知事へのメールを公開〕







「長崎、広島では、累積被ばく 1mSvで被爆者手帳が交付されている」という御発言の間違いについて




泉田知事様



昨年9月から、ツイッターで呼びかけていたオカノリです。

先日、ツイッターのダイレクトメールで知事から短い文面を頂き、意見のアドレス指定がありました。その後、ご指定のアドレスに2度ほど送信いたしましたが御返事は頂けませんでしたので、私が考えていることを、ここでまとめて伝えさせて頂こうと思います。

知事から頂いた文面についての私の印象ですが、昨年9月の被爆者手帳に関する御発言について、現在も考えや主張を変えてはいらっしゃらず、訂正の意向はないとの旨に受け取れました。

そこで、知事の御発言の根拠について、私にとってまだ不明な点、それらについて確認をさせて頂きたいです。 

はじめに、知事は 被爆者健康手帳制度 と 原爆症認定制度 のふたつの別の制度について、その違いを正確に把握していらっしゃるでしょうか。というのも、この二つの制度を混同している方が本当に多いのです。両者は全く別の違う制度なのですが、その区別がつかない人が殆どです。

一番よく見かけるのが「3.5km 以内なら、被爆者手帳が交付されている」と誤解している方です。これは被爆者手帳原爆症認定が違う制度であるという正確な知識が不足しているために起きる、よくある誤解です。両方とも国民には馴染みがない制度なので仕方ないですが、なかなか正しくイメージ出来ないようです。万が一、知事がこれらと同様な混同をされているとしたら、その初歩的な部分からご理解頂かなくてはなりません。

ふたつめのケースは、「この二つの制度の違いはわかっているが、国の被爆線量評価では 3.5km 地点は初期放射線が、1mSvであるから、3.5km 地点でも被爆者手帳を受け取れている人は実際にいる」 と知事が仰りたいのかなとも思ったのですが、そうでしょうか。原爆症認定と被爆者手帳の違いくらい、わきまえているが、要は3.5kmで手帳を持つ人は存在するのだから、1mSvで交付されるという言い方は間違いではない、と。そのようにもまた受け取れました。これらの点において知事の仰る意味が、あとひとつ私にはわかりませんでしたので、その辺を伺いたいと思っていますが、教えて頂けないでしょうか。

原爆の話は複雑で、色々な知識が必要です。それを、できるだけわかりやすく私からお伝えしたいのです。順を追って最低限の知識を共有しなければ、いつまでも認識自体がすれ違い、かみ合いません。それを昨年から何度も、いろんな方と経験してきました。

では、知事の御発言での根拠が、上記(2種類の憶測)の私の想像とさほど違っていないという前提で、あえて一歩先に進んで御説明したいと思います。

知事がDMで仰った、初期被爆線量が3.5kmで1mSvである、というお話は、直接被爆者(1号)のお話であろうと思います。厚労省のホームページに掲載された同心円図などでも示されてある線量数値ですね。厚労省が「3.5km地点は1mSv」と言い出したのは、まだ最近です。たとえば、昭和50年代頃の政府見解では、3km 以遠は「ゼロ」と発表しています。1mSv の数字は手帳ではなく原爆症認定基準が大幅改定され、3.5km という距離が初めて採用された2008年以降からであり、それ以前は「2.5km 以遠は、ほぼゼロである」という表現しかしていませんでした。

原爆投下当日に、広島、あるいは長崎にいて原爆に遭った人の「初期放射線」が、たとえば3.5kmの場所ならば1mSvである、という御指摘ですね。確かに「初期放射線」に限定すれば、直接被爆者の場合は大方そうであるとしましょう。(これについては後述)。しかし原爆被爆者の存在というのはその人たちだけではありません入市被爆者(2号)救護被爆者(3号)という被爆者もまた、法的に認められている正式な「原爆被爆者」です。

この場合の「法的に認められた被爆者」とは「被爆者健康手帳を取得した者」と同義です。私の家族にも入市被爆者が何人かいます。長崎の原爆で入市被爆した私の叔父は、長崎原爆が投下された当日は、そこにはいませんでした。その日は佐賀にいました。大きな爆弾が落ちたことを連絡で知り、家族を捜すために電車で急遽、長崎に帰りました。原爆が投下されたその翌日に長崎近くに到着しました。そしてそのまま長崎市中心部へと向かい、吹きとんでいた家の焼け跡場所(爆心地から500m付近)で家族の遺体を捜しました。叔父は現在も存命で、入市被爆者(2号)として被爆者手帳を持っています。この私の叔父のケースのように原爆投下の当日には、その場(広島・長崎)に居なかった入市被爆者は「初期放射線」は、全く浴びていません。叔父の場合、8月9日にいた佐賀の場所は長崎から 100km 以上の距離があります。3.5km どころではありません。叔父の初期放射線の被爆線量は当然ながら「ゼロ」です。しかし法的に認められた「被爆者」として、被爆者手帳を所持しています。

つまり、もし知事が仰るように初期放射線に限定し、また直接被爆者の直線距離の被爆線量だけに限定し、それ(3.5km = 1mSv)に依拠した論を展開なさるのなら、入市被爆者と救護被爆者は全員が「ゼロミリシーベルト」で手帳が交付された、という理屈になります。

被爆者は年々減っていますが、現在でも、入市被爆者は4万8千人、救護被爆者が2万2千人います。合計で7万人の被爆者のほとんどが今も「ゼロミリシーベルト」を根拠に手帳が交付されている、という事になってしまいます。被爆線量がゼロでも交付されるなら、1945年8月当時に生きていた人は日本人全員が申請しても、誰でも手帳が交付されますよ、という(これは極端ですが)変な話にもなってしまいます。

ですから知事が、国のDS02 線量評価体系の直接被爆者の直線距離の初期放射線量だけを根拠にあげて「1mSv から交付される」であると...、その1mSv が交付されている根拠だと、そう主張なさるというのであれば、それは正しくは 「長崎、広島ではゼロミリシーベルトから手帳が交付される」「約7万人が今もゼロミリシーベルトで交付を受けている」 が、より正確な言い方であるということになります。でもそれは客観的に見た時、明らかに解せない、妙な話になります。いかがですか。原爆投下当日の初期放射線のみを取り上げ、「残留放射能」をほとんど無視している国の線量評価手法というのは原爆の被爆実態を全くあらわしていない机上の空論であり極めて過小評価されたものなのです。

このように国の理屈と現実の間に様々な矛盾と乖離が生じるため、手帳制度には線量の縛りなどはありませんし、線量基準の法律は手帳制度にありません。線量評価に基づいた放射線起因性判断で、手帳交付が行われているわけではありませんもうひとつの制度、原爆症認定制度の審査では国が行っている個人被爆線量評価も、手帳制度の場合は無関係なのです。なぜそう言い切れるのかというと、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(通称: 被爆者援護法)という法律が被爆者の定義をその趣旨で定めているからです。放射線起因性の証明は手帳審査には求められません。それは援護政策を行っている政府自身が一番よく知っていることです。下は東京高裁で国が援護法の定義をあらためて正式に示した一節です。被爆者健康手帳の交付では 「具体的な被曝線量を問わない」 としています。




さらに例を出して言うと、原爆に遭って原爆症になり原爆症認定集団訴訟で闘った入市被爆者や遠距離被爆者の多くは、推定被爆線量は「ゼロであると国から結論付けられました。その人たちは、もし国が被爆線量推定をすれば「ゼロ」(被爆していない)のはずなのに原爆症認定のための申請資格条件である被爆者健康手帳を先に取得できていたということになります。知事の「1mSv から交付」というお話はここからもう事実と違っています。なぜ「ゼロ」なのに取得できるのでしょう。知事の御発言が本当ならば、入市、救護を合わせた7万人の「ゼロ」の人たちには逆に交付されないことになるはずです。

手帳を取得した後、原爆症認定を申請したが推定被爆線量「ゼロ」を理由に「原爆症ではない」と国から却下された。そして今度は訴訟を起し、「原爆症を発症するほどの被爆をした」との司法判決が出て勝ったことで認められ、国側の主張、「被爆ゼロ」にもかかわらず原爆症に認定されてしまった、という経緯になります。それでも、その人たち(原告勝訴で原爆症認定された人たち)に対する国による被爆線量推定値は今でも修正されていません。相変わらず「ゼロ」のままです。

被爆者手帳を持っていて、さらに原爆症訴訟でも裁判で勝ち、その病気について被爆者援護制度トップランクの原爆症認定を受けた人たちでさえ、内部被曝の影響を無視され続け、DS評価では、初期放射線、残留放射線の両方を合わせて「ゼロミリシーベルト」(被爆していない)推定であるとの扱いなのです。ましてや、1mSv 以上の被爆を理由として被爆者手帳が手厚く交付されるという事実などありません。

たとえば他にも、2008年に発表された、こういう論文があります。これは広島で爆心から4.1kmで被爆し、初期放射線をほとんど浴びていない被爆者の染色体異常率から被曝線量を推定したものです。推定結果は300mSv でした。4.1km で 300mSv です。被曝要因は主に黒い雨による内部被曝です。この被験者は多重ガンや骨髄機能障害など、被爆者特有の疾患複数を持っています。


【論文】一般演題27 フォールアウトによると思われる3重癌と3つの放射線関連疾患を持つ1症例
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007153362


広島原爆:「黒い雨」体験者の肺にウラン残存





直接被爆者(1号)だけに限定したとしても、それは同じように言えます。長崎の被爆指定地域は南北12km、東西7kmという歪な形をしています。手帳範囲を市の行政区画で線引きしたため、そうなってしまいました。いわゆる「同心円」ではありません。ボコボコ、グニャグニャした縦長型です。






長崎の被爆指定地域は爆心地から一番離れた南の場所の場合など一部地域は、初期放射線は全く届きません。やはり「ゼロ」です。そうすると、もし(3.5km = 1mSv)が根拠であるなら、直接被爆者(1号)でさえも長崎の遠い場所ではゼロミリシーベルトで手帳が交付されている、となってしまいます。しかし長崎では長崎医科大学が調査した報告があり、遠方でも少数ながら急性症状が出た人の学術記録が残されています。後年、機密をとかれて公開された米マンハッタン調査団の調査報告も同様です。

初期放射線が届かなくても、爆風や黒い雨に混ざった放射性物質が遠くまで流れて到達したからです。原爆投下時に使われた米の調査用ラジオゾンデが爆風に乗って流れて行き、遠方に落ちた記念碑が今も長崎市郊外にあります。爆心地から相当に離れていても現実には放射性降下物により被曝被害がありました。10km 以上離れた場所でも、農作業をしていた人が爆風の風圧で倒れたり、屋根や塀が壊れたりしました。大量の放射性物質を含んだ塵がそこまで届きました。しかしそれらのことも、現在のDS体系の初期放射線のみに偏った被爆推定値では全て無視され一切被曝が無いことにされています。長崎原爆の放射性降下物は風に乗って島原半島や熊本まで到達しました。それは原発事故の時に放射性物質が、たやすく数百キロの広範囲に拡がった事と同じです。「現在、指定されている長崎の被爆地域は、半径12km 全域が放射能の影響を受けたと考えている」が長崎市の公式見解です。






また、「DS体系に基づいた初期放射線の被爆線量推定は、1.3km 以遠では過小評価の疑いがある」、という指摘が何度も訴訟判決で出されています。つまり知事の仰るような初期放射線に限ったお話の場合でも、3.5km地点が1mSvであるというのは過小評価であり、それすら実は事実ではありません。DSの不完全さ(残留放射能や遠距離の過小評価)は、裁判の中で30回以上も指摘され否定され尽くしていることなのです。にもかかわらず、認定を却下するための武器として、これに固執しているのが政府であり厚労省です。それに、DS線量評価体系は国側の、いち知見に過ぎず知事が仰るような「法律」ではありません。

大阪高裁判決文

DS86 および DS02  〔線量推定の過小評価〕



医師団意見書 〔DS線量評価システムでは現実の急性症状を説明できない〕







長崎では、初期放射線が届かなかった遠方地域で黒い雨が降り、その被曝が百ミリシーベルトに達した可能性もありながら、理不尽な行政区画の線引きによって切り捨てられて被爆者手帳申請資格がない地域の住民がおり、現在も裁判で係争中です。いわゆる「被爆体験者」と呼ばれる、法的には認められていない(手帳を貰えない)黒い雨の被爆者たちです。長崎同様に、広島にも黒い雨で被曝しながらも手帳資格がない地域住民が多々います。

以下は本田孝也医師による被ばく未指定地域(被爆者健康手帳の資格がない)住民の被曝線量推定についての裁判意見書、一部抜粋です。長く機密になっていて近年公開されたマンハッタン調査団による当時の貴重な「実測値データ」を使って計算された信頼性の高い被曝線量推定値です。福島の線量とも対比してあります。これ全て、被爆者手帳を持つことができない未指定地域住民の話です。これだけの被曝の可能性がありながら被爆者と認めてもらえず手帳資格もないのです。





原爆において、このタイプの被曝(放射性降下物や残留放射能による低線量内部被曝)を認めず無視し続ける国の姿勢こそが、原発事故による被曝を過小評価しようとする姿勢に通じる同じ問題をあらわした隠蔽の本質です。原爆のたとえを挙げて原発事故被害者への国による補償を強く要求するのであれば、本当に指摘すべき、批判すべき政府のやり方はここなのです。決して1mSv を理由にして交付されたのではなく、昔から交付されている事実に対して国が被爆線量の極端な矮小化を今も続け、頑なに被曝被害を否定しているだけなのです。そこを非常に勘違いなさっていませんか。知事の御発言だと、1mSv が交付を担保していて、それが制度化されているかのように聞こえます。1mSv の被爆であることを理由に手帳を交付された方は具体的には、どなたでしょうか。お名前をあげることはできますか。そのような被爆者はいらっしゃいません。証人探しで苦労したり、手帳を持てないままの方も大勢いるのが現実です。


(記事と証言)「被爆者健康手帳」申請の壁と低い交付率

https://renree.blogspot.com/2018/08/blog-post.html


以上のことから、御発言の中での「1mSv で被爆者手帳が交付される」の箇所は、初期放射線に限ったお話の場合でも、それ以外の被曝まで考慮に入れたお話の場合でも事実ではありませんし、むしろ長年の国による黒い雨被爆者の切捨てや、原爆の内部被曝を過小評価した隠蔽プロパガンダを逆に助長する結果となってしまいました。国は、少ない原爆被害でも被爆者を手厚く保護しているのだという印象を植え付ける宣伝をしてきました。本当は、それらは被爆者が非常に長い闘いの中で少しずつ勝ちとってきた事なのです。被爆者が1mSv 基準で医療補償される事実などなく間違った認識による知事の御発言は、被爆者に対する世間の誤解を招く表現になっています。凄惨な被爆実相を世に伝えようと、これまで被爆者が長年努力してきたことについて、いかが思われますか。逆の立場でお考えになってみてください。原発事故被害者が、国の過小評価の理屈を振りかざされて事実にないことを言われ、それにより受けてもいない条件で医療補償を受けているかのような誤解が広められたら、きっと反発されるのではないでしょうか。環境省が「避難した住民も十分補償されている」と言ったら、それをそのまま事実のように広めるのですか。それと同じです。原爆被爆者の被害を国の理屈を借りて過小評価すれば、遠回りして原発事故被害者の被曝の過小評価へと跳ね返ります。やがて原爆、原発双方の被害者補償の道を逆に狭めかねません。

正しい理解のために必要な知識となる、手帳制度の歴史的経緯について御説明します。被爆者手帳制度と、DS02を使った線量評価システムの間に関連はないです。原爆医療法成立で制度化された被爆者健康手帳は、原爆の線量評価体系がほぼ確立されたと言われる「DS86 」の、30年前に作られた古い制度であり、その線引きの根拠は(個人被爆線量評価の方法が無い時代であったため)実際の被害実態を見ながら考慮し、交付基準を決めていきました。




当時の厚生省の技官が広島と長崎に視察に行き、病院の現場を見たり被爆地の医師たちの話を聞いて調査。また、原爆後に大規模に行われた日米合同調査団の原爆災害調査で学術報告された急性症状発症例などに基づき、最終的には技官の半ば独断も取り入れながら定めていきました(1957年当時、原爆医療法制定にあたって手帳の制度作りに関わった浦田純一・元厚生技官自身が「独断だった」と後年に証言しています)。そのため、「入市被爆」、「救護被爆」といった難しくて捉えにくい被爆被害も実際に起きた事例として考慮され、手帳の分類枠として設定されました。線引きによる切捨ての問題は残念ながら残ったものの、「入市被爆者」や「救護被爆者」を手帳枠として制度設定できたのは、起きたことをつぶさに見て判断した成果とも言えます。それら時代背景を丁寧に紐解けば明白です。手帳基準は、主に急性症状率や死亡率等、現実の被爆実態を考慮したうえで定められた昔の政策判断が基本なのです。





同心円状の直線距離ではなく、既成の行政区画を基礎にして大雑把に対象範囲を区切ったことが、その典型です。




仮に、原爆の手帳制度に厳密な1mSv単位の被爆線量の根拠を無理やり持ち込もうとするならば、これまでに述べたような様々な矛盾がいくつも生じて制度の理屈は根本から破綻するでしょう。そもそも原爆被爆者の個人被爆線量を、1mSv の細かい単位まで見極めることは不可能なのです。この現代でさえも原発事故当時の初期被ばくデータを正確に明らかすることが困難な程なのですから。過去、ピークで38万人、いま現在でも約20万人いる被爆者健康手帳所有者の被爆線量など、データそのものが存在しません。ですので、せいぜい初期放射線の、おおまかなシミュレーション推定(それがDS02です)程度しかできません。それに手帳制度で、そんな膨大で煩雑な作業を行政は行っていませんし、仮にやろうとしたところで出来ません。被爆線量評価が関係してくるのは、もうひとつの制度、原爆症認定制度での話となります。そのふたつは違う別の制度で、原爆症認定制度では、3.5km (ガン疾患等の積極認定範囲の場合)以内の認定目安なのです。手帳制度原爆症認定制度この2つがしばしば一緒にされ誤解されています。

また、知事が、かねてから「法の下の平等に反する」とも主張され、頂いたDMでも同じことを仰いました。しかし再三申し上げてきた通り、1mSv を超えたら被爆者手帳が交付される法律、は存在しません。存在しない法律を根拠にあげて「法の下の平等」を主張されても土台が間違いなので論理は破綻しています。間違った認識や事実にないことを根拠にしても正当な主張になりません。間違いを根拠にしてしまえば、他の本当に正しく大切な部分まで信頼性や説得力が失われかねません。真剣な主張こそ丁寧に行くべきです。このまま押し通せば、いつか足元をすくわれかねません。ここは私が特に知事に申し上げたいと思っている部分です。

知事を信頼している方々は多いのですから、この一部分については、すみやかに何らかの形で訂正して頂きたいと思います。悪気のない勘違いや思い込みなど誰にでもあり、それは仕方ないことです。しかしいまだに誤解を招いていることは事実で、大きな影響力をお持ちの政治家として責任を持って訂正してくださらないことについては残念な気持ちでいます。原発事故で苦しむ方々の状況を、少しでもよくしてあげたいという正義感から、踏み込んだ重要な発言をなさって下さったことは頼もしく感じていますし、支持しています。20mSv でも政府の帰還政策が続けられていることへの憤りと御指摘、1mSv以上で、原発事故被害の補償対応を今後きちんと求めていく趣旨自体など、それは私も共感しており賛成なのです。でも原爆の被爆者手帳交付基準に関する一部分だけは根拠にはならず間違いです。万が一、「引っ込みがつかない」程度の理由で今も意固地になられているのだとしたら、それだけはどうかやめて頂きたいです。原発事故によって苦しんでいる被害者の方々に馳せる想いと同じように、無理解や偏見がもたらしてきた被爆者の苦しみの歴史について知識と良識を持って対応して頂きたいです。私が言うまでもなく、知事が手帳を承認交付している新潟県にも被爆者の方はいらっしゃいます。修正すべき点は認め修正して、堂々と主張なさるべきです。私は知事が誠実な方だと思っているから訴えかけているのです。

知事のお考えについて返信を頂けないでしょうか。訂正拒否の意向を考え直してください。私はこのメールをブログで公開し、他の方たちにも一緒に考えて頂けるきっかけと更なる問題提起をするつもりでいます。必ずしも知事お1人に向けてということではなく、これをひとつの転機に変えたいと思っています。原爆被爆者の何が理解されていないかが示唆された根深い問題だと感じるからです。今でも知事と対立するつもりなど毛頭ありませんし、私のお願いを理解して頂きたいという思いだけです。知事を支持している私にとって不本意ですが、しかし知事の御発言の責任は被爆者側にはありません。知事が、そこの箇所の発言訂正をして下さるまで、今後もやむを得ず訂正を求めていく私の考えは変わりません。原爆によって苦しみ亡くなっていった大勢の方たちが後世に何を訴え、伝えたかったか。人生や命と引き換えに残した教訓、私達が引き継いでいくべきこと、それを今一度お考えになってみて欲しいのです。原発事故の話とも決して無関係ではないはずです。

もしこれらの私の話が信用しかねるのであれば、ご多忙とは思いますが、原爆症認定訴訟関連の本などをお探しになり、一度お読みになられるといいと思います。




〔泉田知事へのメールはここまで〕

 






被爆者健康手帳の交付要件【PDF資料】





念のため広島県庁に私から確認の問い合わせをして、この件について正式な回答を頂きました


〔私からの問い合わせ〕

被爆者健康手帳が交付される場合、広島県のホームページでも公開されている申請交付要件には記載されてないようですが、こんな噂があります。「長崎・広島では累積被ばく量、1ミリシーベルトで被爆者手帳が交付される」という話を聞いているのですが、これは本当でしょうか。累積で1ミリシーベルトの被ばくなら被爆者手帳が貰えるのでしょうか。このような事実はありますか。被爆地である広島に問い合わせれば判ると考えメールを送信致しました。広島県としての回答を、ご教示下さいますよう、どうぞよろしくお願い致します。


〔広島県からの正式回答〕

ご照会のありました,被爆者健康手帳の交付条件ですが、
手帳交付の要件に、
「累積で1ミリシーベルトの被ばく」という要件はありません。
よって、「累積で1ミリシーベルトの被ばく」をもって、手帳を交付することはありません。
よろしくお願いします。

【広島県被爆者支援課】





被爆者団体、日本被団協にも確認してみましたが同様のお答えを頂いています。



もちろん仰る通り、被爆者手帳に線量規定などなく、間違った認識が拡がることは本当に困ります」 

【日本被団協】





また、上記に加え、同様の質問についての長崎県長崎市

さらに隣の岡山県山口県、それぞれの回答を以下に掲載します




〔長崎県からの正式回答〕

お問い合わせいただいた被爆者健康手帳については、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(以下、被爆者援護法)第1条第1項の1号から4号に該当する方に交付されます。
被爆者援護法の概要はホームページに紹介しておりますが、
被爆者援護法には「広島・長崎では累積被ばく量、1ミリシーベルトで被爆者手帳が交付される」という規定はございませんので、当然、被爆者援護法の被爆者として認定されることはございません。

今後とも被爆者援護法の規定をホームページなどで広く皆様にお知らせし、被爆者援護法の適正な運用を図ってまいります。





〔長崎市からの正式回答〕

被爆した放射線量を被爆者健康手帳の交付要件とする法の規定はございませんし、
交付した事実もございません。



長崎市回答時の添付資料





〔岡山県からの正式回答〕

被爆者健康手帳の交付要件については、
「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(平成6年12月16日法律第117号)」
で定められております。
この法律の前段には、国の責任においてということが明記されており、
原爆施策については、国の指針に基づき、
各県及び広島市、長崎市において実施しているところです。

手帳の交付要件につきましても、この法律に則り、
法律に定めのある要件に該当することが証明できるものについて認定を行っております。
この要件の具体的な区域については、
「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令(平成7年2月17日政令第26号)」
に規定があるとおりです。
岡山県においては、他の他府県両市と同様に、
国の定めた認定基準に沿って認定をおこなっているところです。

なお、お問い合わせの文中に、1ミリシーベルトという標記がございますが、
上記の法律に、手帳の認定において、1ミリシーベルトという要件記載はありません。






〔山口県からの正式回答〕

被爆者健康手帳の交付については、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づき、都道府県が審査し、交付することとなっています。

審査に当たっては、申請者について被爆の事実等を確認していますが、被ばく量について確認するようなことはありません。

したがいまして、
「累積、1ミリシーベルトの被ばくで被爆者手帳が貰えて国の手当てがなされる」 
といった事実はありません。





新潟市にも質問してみました。すぐ対応して下さり御回答を頂きました。

〔新潟市からの回答〕

回答させていただきます。

ご質問の交付条件については、添付資料をご確認ください。

また,被爆者手帳の交付と被ばく量については、現時点では、国から示されているものや情報はありません。




私から新潟県に対しても、これらと同様の質問を出していますが、現段階では、まだ返信と正式回答が来ておりません。その理由は不明です。被爆者健康手帳交付要件に関する新潟県庁からの正式な御回答を、お待ちしております。





2013年9月5日

〔新潟県知事メディア懇談会での泉田知事の発言〕


「それから、もうひとつ、同じ、これは放射能の被害っていう意味では、日本は長崎・広島、経験してるわけで、この、長崎、広島でですね、被爆手帳もらえる方っていうのは、累積被爆量1mSvを超えた人に交付されてるんです
この被爆者手帳貰うと、医療費無料になるんですよ。福島は年間20mSv浴びてでもですね、そこで子育てをして、医療費無料の対象にもならないと。日本は一体どうなってるんですかと。
広島、長崎では1mSvで、ちゃんと国の手当てがなされるのに、これ避難することもできない」






2013年9月7日

〔岩上インタビューでの泉田知事の発言〕

「それから福島の方から私のところに哀願の手紙来るんですけれども、どういうことかっていうと、広島長崎で被ばくされた人。累積です。累積で1ミリシーベルト超えると被爆者手帳貰って医療費タダになるんです


(1時間25分頃から)




私が何度か頂いた返事では、泉田知事に発言の訂正意思はないようです。この発言内容が誤りであることも認めません。
現在、新潟県在住の被爆者健康手帳取得者は100名以上。被爆者援護法では、被爆者手帳は各都道府県知事の承認のもとに交付されることが定められています。つまり新潟では被爆者手帳は泉田知事のもとに援護法条文に基づき、承認交付されています。

この点について、自らの誤った発言によって原爆被爆者についての誤解・誤謬が社会に拡がることを指摘されながらもそれを軽視し、いまだもって泉田知事が発言訂正の意向を拒否しているのは非常に残念なことです。被爆者手帳の承認交付においても、知事職は重要な立場であり、今回の「訂正拒否」は知事としての責任感と良識に著しく欠けた行動であると私は思います。













〔その後、新潟県からの正式回答を得られるまでのやりとりも下記リンクで公開しています〕


累積1mSvで被爆者手帳は交付されない

 それを新潟県庁が、しぶしぶ認めるまでのやりとりを公開します

http://renree.blogspot.jp/2014/07/1msv.html






泉田知事の発言問題について感じていること

http://renree.blogspot.jp/2014/12/blog-post_30.html