2015年6月20日土曜日

「0.05mSv 未満で被爆者手帳の入手が可能」は本当か?(吉田由布子さんの嘘に対する指摘と反論)








広島県、広島市、長崎県、長崎市、および広島の隣の岡山県、山口県

それぞれの原子爆弾・被爆者援護課に

「0.05mSv未満の被爆線量で被爆者手帳の受領が可能」の話は事実かどうかについて、以下の文面で問い合わせをしました。










担当者様



被爆者健康手帳に関する質問があり、御連絡差し上げました。

以下は某団体がインターネットで公開している資料です。



(NPO「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク事務局長、吉田由布子氏の作成資料より)





まず(1)についてですが、被爆者援護法とある緑色の欄に被爆者手帳の交付要件が記載されており、太字で「被爆量としては、0.05mSv未満でも手帳受領」と書かれてあります。

また、(2)の資料の12ページ目、下にも、

「広島の場合、国の推定では爆心から 4km 地点で 0.05mSv とされており、被爆地域は 5 ㎞付近まで指定されているので、さらに低い推定被ばく量でも被爆者健康手帳の入手が可能である」

と書かれてあります。

これらの記述は正しいものでしょうか。このような法律、または事実はありますか。

お忙しいところ恐れ入りますが、これらについて広島県からの御回答が頂けましたら幸いです

どうぞよろしくお願い致します。


  岡 紀夫






この質問に対して各県、市から返ってきた各回答は以下の通りです。



広島県の回答

お問い合わせいただきました、被爆者健康手帳の交付要件について

〇広島被爆に係る被爆者健康手帳の交付要件は次の4つで、これ以外の要件はありません。
従って、推定被爆量の数値は、交付要件になっておりません






広島市の回答

ご質問いただきました「被爆者健康手帳の交付要件に関する問い合わせ」の件につきまして、御説明させていただきます。

現在、原子爆弾被爆者に対しては原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法という」)により、被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策が実施されており、被爆者健康手帳の交付要件については、被爆者援護法及び被爆者援護法施行令に次のように定められています。




各都道府県、広島市、長崎市では、法律等で定められた交付要件に則って手帳交付の審査を行っており、被爆距離と被爆線量の関係などの科学的知見を踏まえた審査は行っていません



長崎県の回答

お問い合わせいただいた「被爆者健康手帳交付」について回答いたします。

被爆者健康手帳は「原子爆弾に対する援護に関する法律」第2条第3項の規定により、同法第1条各号のいずれかに該当する方に対して交付することとなっており、
放射線の被爆量によって被爆者として認定されることはございません
今後とも同法の適切な運用を図り、被爆者の方々に対する援護を実施してまいります。




長崎市の回答

被爆線量に関する記載はありません。(以下、全文)




岡山県の回答

お問い合わせいただいた標記の件について回答いたします。

被爆者健康手帳の認定については、
「原子爆弾に対する援護に関する法律(平成6年12月16日法律第117号)」第1条に定められており、
これらの各号に該当する認定の区域、期間は、
「原子爆弾に対する援護に関する法律施行令(平成7年2月17日政令第26号)」第1条の規定のとおりです。
これらの規定にシーベルト等の線量についての記載はございません

原爆施策においては、当該法律の前段に国の責任が明記されており、
国の指針に基づき各県及び広島・長崎両市において実施しております。
上記の法律等にシーベルト等の記載はないため、
手帳取得の申請がある場合は、被爆のシーベルトを審査するのではなく、
上記の規定における認定基準に該当するかについて審査しているところです

宜しくお願い致します。

岡山県保健福祉課 援護班








山口県の回答

お問い合わせいただきました、被爆者健康手帳の交付要件につきまして、下記の通りお答えします。
被爆者健康手帳の交付については、□原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づき、都道府県において審査し、交付しております。
審査に当たり、同法に定められた交付要件に該当するかの事実確認をしております。
推定被ばく量については交付要件となっておりませんので、審査の過程で確認することはありません

山口県健康福祉部
医務保険課医療指導班





*******************************************************

以上が各回答でした。つまり吉田由布子氏が作成したこの資料、「0.05mSvで被爆者手帳の受領が可能」という説明は誤りです。

これは典型的な「法律と知見の混同」で、吉田由布子さん個人の空想です。





以下は基本事項が多くなりますが指摘および事実説明の詳細です。



この吉田さんの資料は「初期放射線」しか言及されていませんが、実際の「被爆者の定義」は残留放射能による被爆も考慮されたうえで決められています。
それは「時間・期間」という形によって法律(援護法施行令)に指定し定められているものです。



それを吉田さんのように、もしあえて一瞬の初期放射線のみに限ってしまうと、
被爆者手帳を所有している被爆者のうち約半数の人が初期放射線の被爆は「ゼロ」です。

「0.05mSv以下の・・」と吉田さんの説明が書いてありましたが(?)直接被爆者の場合も含めて初期放射線の最小は 0.05mSvなどではありません。




具体的な例をあげると、救護被爆者(3号)は、主に爆心地から5km以上離れた場所で救護活動等に従事した人などを対象とするため作られた定義です。

たとえば、長崎大村海軍病院は爆心地から約 20km ほど離れています。
原爆に遭った重症患者が、ここにも当日だけで758人、最終的には1700人が運ばれてきました(下の記事参照)。
それで医師や看護師たちも建物内に蔓延する放射性物質によって二次被爆をしました。
当時ここの病院関係者だった人達は、後に救護被爆者(3号)として被爆者手帳を持っています。



2016年現在、このような救護被爆者は 約 2万人が生存しています。

救護被爆者は直爆ではないので初期放射線による被爆はゼロです。


長崎原爆「救護被爆者」がん多発



森美子さんの被爆体験「大村海軍病院でたくさんの被爆者を救護」



また、入市被爆者(2号)は、原爆投下時には市内にいなかった人達です。ちなみに私の家族の入市被爆者たちが原爆投下時は爆心地からどれだけ距離があったかを書き出してみますと、

22km、57km、18km、105km・・・他にもいますが、ざっと挙げるとこういう感じです。全員とも直線距離 4km を遥かに超えていますね。でも法的に認められている被爆者です。
入市被爆者は、2016年現在で約 4万人です。こちらも初期放射線の被爆は当然ゼロです。

ここまでの救護被爆者と入市被爆者を合わせると、 約 6万人。

直接被爆者として定められた区域は広島の場合 5km を当初おおむねの目安にして町名で定められていますが、行政区域で線引きされているため長崎では被爆指定地域が爆心地から南に長く延びていて最長で 12km の距離があります(ピンク色の南端部分)。
ここの端っこにいた人も初期放射線は届かないのでゼロです。

黄色の地域住民には被爆者健康手帳がありません。間の瀬地区にも原爆の灰が大量に降りそそぎましたが被爆地域から理不尽に外されています。

直接被爆者の中で 5km より遠くにいた人は初期放射線がゼロ。
5km 以遠にいた直接被爆者は現在、約 2万5千人が生存しています。
(4km 以遠であれば、もっと数は増えますが、完全に初期放射線が届かない距離として、ここでは一応 5km で区切りとします)

この方達も合計すると、初期放射線を全く受けていない被爆者健康手帳所持者は約 8万5千人になります。
現在の被爆者手帳所持者の総数は約 17万5千人ですから、つまり被爆者手帳を持っている被爆者のおよそ「2人に 1人」は、初期放射線は受けていない人達ということになります。



これを先の吉田さん風にわざと言い換えてみると、
「国の推定で(初期放射線が)ゼロの被ばくであっても、健康手帳の交付とそれに基づく施策の適用を認めている例があるということ」とか、
「ゼロでも交付を申請できる」「ゼロでも受領できる」「ゼロで入手が可能である」といった文章になってしまいます。

それだとかなり変になってきますよね。 ゼロ(全然被爆していない)で交付? 
交付を受けるためには被爆量ゼロであることを役所で証明すればいいのでしょうか。

「国が推定した私の初期放射線被爆量はゼロです。2人に1人はゼロで交付を受けています。だから私にも被爆者手帳の交付を」などと、裁判の中で自分が被爆していないことを、わざわざ主張する人なんていますか?

そんな頓珍漢な主張、被爆の証明になってないですよね。

8万5千もの大勢の人がゼロ交付? 
ゼロでいいなら誰でも申請すれば交付でしょうね。

いいえ、それが「交付されるための理由」になるわけありません。(当たり前)
0.05mSv だろうとゼロだろうと同じこと。一瞬の初期放射線だけに限ってしまうと、こういうおかしな理屈になります。

ではあらためて、「正しい日本語表現」で事実を文章にしますね。
冒頭に掲載されている通り、各自治体が異口同音に回答で示しているのは、

「0.05mSv(以下?) の被爆線量をもって被爆者健康手帳が交付されることはありません」

ということです。




「0.05mSv以下でも」とか、よくわからない話してないで「ゼロで受領可能!」って、もう堂々叫べばいいじゃないですか。

0.04mSvだとどうなの? 0.03は? 0.01とゼロの違い、どう区別するの?
きっぱりと「国のDS02推定による被爆量がゼロであっても被爆者健康手帳は交付されています」と言えばいい。

ただし、「国のDS02推定による」は必ずつけなければ、この文章は成立しません。

そして、もし下のこちらだと、上と似ているようで意味の全く違う、「間違い」になります。
→ 「国のDS02推定による被爆量ゼロをもって被爆者健康手帳は交付されています」 ← この事実はありませんね。



さて。

法律で線量が交付要件と関係ないことは各自治体の回答にありますよね。
低線量だろうと高線量だろうと、どんな線量を提示しようが見せ付けようが交付などしません。明白です。

じゃあ法律面とは別の話で、あえてもっと踏み込んで言及してみます。この盲点部分や誤解は結構重要なところ。

先ほどの救護被爆者(3号)ですが、仮に DS02 で線量評価してみたところで、この 2万人全員がゼロという計算になっちゃいます。これが DS 線量評価の限界。あるいは偏りと言った方がよいかもしれません。

その矛盾は司法判決で既にこう指摘・看破されています(下は原爆症認定訴訟・広島地裁判決)。
初期放射線に偏った DS線量評価体系の「推定」が、いかにあてにならないかということです。




直接被爆者、入市被爆者、救護被爆者、胎内被爆者、と分類されていますが、実はこれも便宜的な区分けと考えてよく、特に直接被爆者と入市被爆者の場合には厳密な区分は無理なのです。
制度上で大雑把に区切らざるをえないだけです。

これも私の家族でひとつ例を挙げると、祖父が広島で、 2km ちょっとの地点で被爆しています。
窓際の机にいたので閃光が目に入り、とっさに机の下に潜り込みましたが爆風で机ごと身体を飛ばされました。
顔や腕を熱線で火傷、無数のガラス破片も飛んできました。しかし丈夫な建物内だったため命は助かりました。

眩んだ目が見え始めると顔を防いだ右腕にガラス片がたくさん突き刺さっていることに気がつきました。足も怪我していましたが歩けたので内壁が崩れて散乱する部屋の建物から外に這い出ました。自分でガラスを引き抜いた後、半袖シャツを脱いで左手と口を使い腕に縛って止血。しばらく動けませんでしたが、自分の命令で他の場所に行っていた仕事部下たちの安否が気になり、市の爆心地中心部へと向かって歩き、1km地点手前 まで近づきました。
そして柱の下敷きになっていた仲間のひとりを見つけて(部下は殆どが死亡)助け出した後また戻り、少し離れた救護所で一週間、何百と次々運ばれてくる重傷者を徹夜で救護したり、そこで亡くなった人達の御遺体を外で焼きました。さらにその後も、部下たちの遺体を自分が葬るために再び爆心地の手前まで行き、生き残った同僚たちと共に焼け跡を掘り起したりもしています。

祖父は被爆者健康手帳は直接被爆者(1号)として持っていました。
でもこれは一応の法的分類に過ぎず、実際には祖父は直接被爆者で、かつ入市被爆者、救護被爆者でもあるのです。
しばしば「ミックス」してるものなんです。ただし、その混じる割合については個人でそれぞれが異なります。


しかし実際は・・・

直接被爆者の場合、最大で3つの要素を持っている



入市被爆者で、かつ救護活動した方も多い。三次高等女学校の生徒たちが引率されて入市し、救護活動にあたった例などは有名です。

国がDSで線量推定すると、この三次高等女学校の生徒たちは全員が被爆量ゼロと計算されます。
しかも初期放射線と残留放射線の両方をあわせて、ゼロという国の推定。

後年、訴訟の原告になった元女生徒。国側の学者はその人に「あなたは全く被爆をしていません」と言いました。



これ全員、国の DS 推定ではゼロ。 ほとんどの人に急性症状まで出ていたのに、 おかしいですよね。



動画「見過ごされた被爆」

http://www.at-douga.com/?p=7240


こういう人たちは実際の話としては入市と救護のどちらにも当てはまりますが、入市要件の 2km 以内に入っているため、手続き上は 2号を優先して入市被爆者の手帳となります。

入市被爆者の場合、最大で2つの要素を持っている




ちなみに救護被爆者はこう。そのままです。しかし(3号)の場合、今度は3号の法条文自体がやや曖昧な内容のため、そこから導く3号被爆者の解釈定義(基準)が分かれることがあり、幾分議論があります。そのため以前は広島と長崎で具体的な行政基準(救護した人数要件、等)も異なっていました。
その他のケースでは、第一種健康診断特例地域の健康診断受診者証から切り替えられた場合に手帳が3号となります。ただ行政面一般では3号は救護被爆者として定義されています。



これらは本の知識や想像だけでは意外に考えが及ばない大事な点。
この隠れたミックスが感覚として理解できなければ被爆線量評価の本当の複雑さ、そして国のDS02 の怪しさもピンと来ないのです。
原爆被害実相が、なかなか理解されにくい理由にも通じます。



私の祖父と同じような体験をした被爆者はとても多いですね。直接被爆者といえど、お地蔵さんか植物のようにずっとそこだけにとどまっていたわけではありませんから。パッと浴びて終わるわけではないんですよ。

人は生きていれば動くし歩ければ移動します。
それが原爆後の「行動歴」です。そしてこの時に受けるのが残留放射能の被害。



これは原爆症認定訴訟の闘いでも、病をかかえながら被爆者が告発している大きな争点のひとつです。
初期放射線は外部被爆ですが、残留放射能だと外部被爆と内部被曝の両方になりますね。
私の祖父も相当な被爆線量だったはずです。


原爆症認定訴訟・東京地裁判決(一部抜粋)


下の表は「初期放射線を全く受けていない直接被爆者」がどれくらいの残留放射能を受けたのかという、ひとつの例です。

この方たち(4名)は、爆心地近くの建物の丈夫な地下壕にいて直撃をまぬがれた人たちです。従って最初の初期放射線は全く浴びていません。
しかしその建物を脱出するときに市内を通り抜けたために残留放射能を受けてしまいました。
染色体推定をしてみると残留放射能のみで高い線量を受けたと分かりました。
上から順に、900mSv、1870mSv、1960mSv、3300mSv・・・。

同じ場所にいた人たちも、後の行動は違うため被爆量も違ってきます。残留放射能の被爆推定が難しい理由のひとつです。
少なくとも政府が言っている「残留放射能は微々たる量」という公式見解と、この結果は全く違っています。


論文

「0.5Sv以上の残留放射線に被爆したと推定される事例。白血球数と染色体異常率からの検証」

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/11/dl/s1112-7e-d.pdf



残留放射線だけでこれほどですから、外で初期放射線も受けた大勢の人たちの被爆線量は、やはり非常に高いものです。
漫画「はだしのゲン」作者、中沢啓治さんは、1.2km地点で塀の陰にいたため怪我を負ったものの奇跡的に助かりました。
そして家に帰ろうと地獄絵の光景を目撃しながら市内を歩きました。後年に癌で苦しみました。
この初期放射線に、さらに後の「時間・期間」による多量の残留放射能が加わるのです。


がん病棟で治療を待つ生前の中沢さん



遠距離の直接被爆者の場合でも、必ずしも原爆の初期放射線による被爆を受けていなくても、下の記事の例のように放射性降下物の残留放射能による被害があります。

この方は 4km を超えています(下の記事参照)。
この女性がいた場所にも黒い雨が降りました。原爆投下時には、この女性は出産で小屋にいて 1ヵ月ほど動けなかった。
だから「行動」もしていない。屋内の遠距離だから初期放射線もない。
黒い雨は見たけれど「直接浴びてはいない」。
それでも実効線量は、300mSv です。広島原爆のウラン微粒子が入っていた肺組織の等価線量最大値は 1218mSv。

原爆の残留放射能や内部被曝を軽視できないことがよく分かる例です。
黒い雨を全身に浴びて真っ黒になった人や、強烈な熱線で咽が渇いて直接飲んだ人もいますからね。



この被爆者女性について初期放射線以外の被曝様式を一切無視して、「被爆量は 0.05mSv 以下」などと結論づけたら、それこそ非科学的でナンセンスですよね。これがあるのに。



国の DS02 では基本的に初期放射線に偏った評価ですから、その結果として過小評価されてしまうのが
入市被爆者、救護被爆者、直接被爆であっても残留放射線を多く受けた人、となるわけです。

私の祖父も被爆した地点は 2km を超えていますから「100mSv を下回っており問題のない放射線量」と国に言われてしまうでしょう。1km 以遠の残留放射能はごく微量などとして考慮する必要はないとされ、窓際にいても建物の中だから遮蔽率がどうのと更にそこから 30% くらい低く計算を見積もられる。救護活動のことに至っては完全無視。

生前の祖父は学生時代は柔道選手で、戦前ブラジルに渡り厳しい肉体労働に耐えて鍛え抜いた屈強な身体の持ち主でしたが、戦後は血小板や白血球数が正常値とならず、血液疾患や虚血性の心疾患、若年齢からの白内障・緑内障など原爆が原因と思われる病気を患いました。

祖父が被爆者健康手帳を持ったのは原爆から35年後、67歳の時です(原爆は32歳)。
それでも私の親族の中で一番早く取得したのが祖父でした。

しかし、今もし生きていて「原爆症認定」を申請したとしても、現在の基準でも祖父の被爆地点(直線距離)だけで「病気は放射線が原因ではない」と判断され、国に却下されてしまいます。



国は原爆症の認定をほぼ全くと言っていいほど認めず、その数は被爆者全体の1% にも満たない状況でした。
これは1994年に被爆者援護法が成立した年の国会議事録ですが、この状況はつい近年まで全く同じ。



下の記事には書いてありませんが、この女性が被爆した場所が被爆地域として、ようやく国に指定されたのは、1972年のこと。それまでは原爆医療法の成立後も、ここは被爆指定地域ではありませんでした。つまり、この女性や、その同じ地域で被爆した人たちが被爆者手帳の申請資格を持てたのは原爆投下から27年後です。
そこで手帳を持てたのではないですよ。1972年に被爆者手帳を「申請できる資格」を、やっと持てたのです。

被爆者手帳を持っていなければ法的に認められた被爆者とはなりません。
この女性は原爆から27年の間、社会に原爆の被害者として認められる権利すらなかったわけです。
その期間は医療を受けても全て自己負担。多重がんなど多くの病気を患いました。
被爆地域はこうした改正を徐々に重ねて今に至るものです。
それまで、どれほどの被爆者が長年置き去りにされ亡くなっていったことでしょうか。


初期放射線を浴びていない女性(4.1km 地点で家屋内の直接被爆)

染色体推定結果で、300mSvの被ばく線量

https://renree.blogspot.jp/2015/06/200868-41928-15-435-280-20-20141223-331.html


この女性が被爆した場所が1972年まで被爆地域に指定されなかったのは、爆心地からの距離だけではなく町の形が歪だったため、運悪くそのあおりを受けたからです。

それが何故、後に途中から指定されることになったのか。それは黒い雨がこの地区に多く降ったという被害事実を住民や地元の政治家たちが、政府に対して辛抱強く要求を重ねていったからです。このような地域のことを当時の言い方で「残留放射能濃厚地区」と呼んでいました。

ここに「黒い雨」が沢山降った事を政府も認めざるをえませんでした。他の地域では同距離でも被爆地域に入っていたこともあり、距離の辻褄あわせとして最終的に被爆地域として、ここも統合されました。
当時はまだ、いくぶん指定地域や被爆者定義も流動的な頃だったので、その流れの中に入れたんですね。

この女性が被爆した場所より、実は隣の地区の方がもっと黒い雨の降雨量は多かった。
同じような経緯で後になって拡大指定された地域は、広島、長崎ともに、いくつもあります。

つまり、直接被爆者の定義に定める「区域」は、初期放射線が届いたと当時推測されたおよその範囲に加えて、放射性降下物による残留放射能の強い影響があった地域が後に統合・拡大されていき、両者の混成によって行政区画をもとに形を定めてきたわけです。当然、きれいな同心円などでもありません。

直接被爆の指定地域であっても、残留放射能の影響は遠距離地区の線決めに(非常に不十分ながら)示唆されているということです。政府は、そこあえて触れたりしません。そして黒い雨の大雨地域・第一種健康診断特例区域が続きます。

米国の線量評価体系が未確立の頃は、日本の学術的な実態調査をより色濃く反映できた時代。
原対協の地元医師たちや被爆者寄りの学者たちも援護措置拡大の努力を続けて成果を発揮しました。

申請者が被爆者健康手帳の交付を受けるために充たさなくてはならない要件は、
時間・期間、および区域という条件区分で類型化された被爆者援護法施行令(政令で定める区域・期間)に基づいて審査されます。これを「被爆者の定義」と言います。



この被爆要件(法定区域・法定期間)にあてはまるということが、すなわち被爆事実の法的証明そのものとなります。
逆に言うと線量証明など要らない。被爆者の定義に合致することを証明するための要件は「外形事実」です。
手帳の交付は法律面において、原爆症認定に求められるような放射線起因性に基づく判断基準とは異なります。

被爆者健康手帳の提出による一般疾病にかかる医療費は「国民健康保険での自己負担分の支払い」を国が代わりに負担することにより免除されます(被爆者援護法、18条)。
また、健康管理手当ての支給(被爆者援護法、27条)は、指定 11疾病との「ゆるやかな起因性(因果関係)」をもとに行われており、一方の認定疾病(原爆症認定)(被爆者援護法、10条、11条)のような放射線起因性(の立証)は法律上求められていません。

被爆者健康手帳は「具体的な被曝線量等を問わないで交付」。国がこう言ってます。





ですから「被ばく量何ミリシーベルトから被爆者健康手帳は交付されているのか」という設問自体が誤りです。

上の「0.05mSvの資料」を作った吉田由布子さんは、法律のこうした関係を正しく理解されていないのですが、加えて特にお忘れになっているのが「時間・期間」、残留放射能についてです。それは知っていても入市被爆者の話なんだと。
直接被爆の場合でも残留放射能がそこまで関係があるとは、たぶん想像出来ていらっしゃらないのでは。

この思い込み、よく見かけます。
「直爆被害」のイメージが先行しているんでしょうね。国もそういう風に宣伝することで国民を洗脳してきました。
もちろん直爆は強烈な熱線、爆風、放射線と、言うまでもなく物凄い。ただしそれ以後も放射線被害は続きます。

被爆者手帳の申請時には当時の状況を証明できる書類や証人(基本的には 2人以上)などが求められます。
証人が見つからずに苦労した話は多い。私の家族の時も皆、探すのが本当に大変でした。全員で手帳を取得しようと決めた時には既に 30年以上経っていましたから。そこからようやく何年もかけて証人を探し始めたのです。

原爆医療法の成立は原爆投下から12年後のことですが、そこからすぐ現在のような医療援護措置がなされたわけではありません。
一握りの人が手帳を取得できたところで、「一般被爆者手帳」がほとんどで、それは年2回の健康診断を受けられるだけの医療費自己負担の手帳でした。
この話は長くなるのでしませんが、制度が本当の意味で機能するまでに長い年月がかかっています。

申請・交付にあたっては個々人の被爆線量との関連を問うものではなく、審査の際に被爆線量を問われることもありません。

この定義は多数の学術調査によりまとめられた知見や、被爆者医療の医師たちによる臨床医学報告をもとに厚生省研究調査班が定めた「原子爆弾後障害治療指針」によるものです
さらに昭和35年の法改正により、健康保険の自己負担額を限度として一般疾病医療費が支給されることになる「特別被爆者」の定義枠が、現在の制度の原型へと変遷していきます。
特に1974年頃まで、幾度もの改正を重ねながら形作られたものです。

この時の厚生省が通知した指針は当時の被害実態や状況をよく捉えており、被爆者に実際に起きたことを直視しながら判断するよう的確に指導しています。
これらは、極端に偏った「線量主義」へと変節してしまった現在の厚労省にとっては都合が悪いもの。過去の原爆症認定訴訟でも原告勝訴判決の際、裁判所が何度もこれを指摘してとりあげてきたからです。


「原子爆弾後障害症治療指針」の重要性

http://ninteisiryo.blogspot.jp/2017/05/blog-post_20.html



そのため今の国民の目になるべく触れないよう、厚労省自身がこっそり隠しているものなのです。
厚労省はホームページにも出しません。


「原子爆弾後障害症治療指針について」厚生省公衆衛生局長通知
(昭和33年8月13日)


(抜粋)
「被爆者のうけた放射能線量を正確に算出することはもとより困難である。この点については被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり、また当初の被爆状況等を推測して状況を判断しなければならない


被爆地が爆心地からおおむね二キロメートル以内のときは高度の、二キロメートルから四キロメートルまでのときは中等度の、四キロメートルをこえるときは軽度放射能を受けたと考えて処置してさしつかえない」

「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」
厚生省公衆衛生局長通達


(抜粋)
放射能による障害の有無を決定することは、はなはだ困難であるため、ただ単に医学的検査の結果のみならず被爆距離、被爆当時の状況、被爆後の行動等をできるだけ精細には握して、当時受けた放射能の多寡を推定するとともに、被爆後における急性症状の有無及びその程度等から間接的に当該疾病又は症状が原子爆弾に基くか否かを決定せざるを得ない場合が少くない。
従って、健康診断に際してはこの基準を参考として影響の有無を多面的に検討し、慎重に診断を下すことが望ましい


具体的な法案の策定過程(原爆医療法)



(抜粋)

「原爆医療法案に関する国会での審議国会での審議においては、原爆医療法案の2条3号について、同号を設けたきっかけは、原爆投下時に爆心地から5km以上離れた海上で、輻射を受けたというような人や、爆心地から5km以上離れたところで死体の処理に当たった看護婦あるいは作業員らが、原子病を起こしてきた例があるため、それらの者をも救済する必要があると考えられたことにあるという説明がされた。
この説明からは、3号が、1号や2号に含まれない被爆者を救う補完的規定であること、3号が設けられたきっかけは、1号や2号の要件に当てはまらないが、その後「原子病」を起こした人がいることにあった」




被爆者の身体に現実に起きた急性症状や病態を十分に踏まえたうえで、「2km 以遠」の遠距離、入市者、救護者も放射能影響を受けたとして考慮されなければならないとする旨が明確に書かれてあります。今では厚労省が一切認めなくなった個人行動歴や内部被曝にも言及しています。

このように、法律上における「被爆者の定義」は当時の生々しい実態に基づいて決めた政策判断なのです。
「法的に認められた被爆者」とは、「被爆者健康手帳の交付を受けた者」と同義になります。

「原爆医療法に関する議事録」成立と主な改正(抜粋資料)

http://ninteisiryo.blogspot.jp/2016/12/blog-post_15.html




法的な被爆者定義と、後年に確立された国が所有する被爆線量評価体系(DS86、DS02)に関連はなく、まして 交付要件とは無関係です。





繰り返しますが、 DS線量評価体系は初期放射線にしか主眼を置いていないシミュレーション計算ですから、内部被曝や個人行動歴が考慮されない(政治理由であえてしない)欠陥が致命的です。

これは大阪高裁判決ですが、原爆症認定訴訟で連続 40回以上、全国の裁判所が一貫して同じ指摘です。

仮に、政府が DS 02を被爆者定義の根拠にしているなら(時代が違いすぎて、ありえませんが)、入市被爆者や救護被爆者の制度自体、最初から存在してないでしょう。
それらの枠が現実に存在しているのは、法律の根拠が元々違うからなのです。

原爆の場合、そもそもデータ自体が不十分。まして個人の被爆線量をどうやってそんなに細かいマイクロシーベルト単位まで見極めるんですかね。この現代でも原発事故の初期被曝よくわからないのに。
原発からの距離の同心円図(枝野)を震災時にテレビで見せられましたが、まさかあれ今も信じてませんよね。

なのに原爆の話だと同心円を素直に信じちゃう人あとを絶たず。私にしたら不思議です。
長崎原爆のプルトニウムが熊本まで到達したのに。流れた原子雲が 4km 地点でピタッと止まるわけもない。



米国戦略爆撃調査団の公式記録(1946年)



広島で黒い雨が降った範囲と、初期放射線の同心円図(半径4km)を一緒に並べると下のようになります。



円の外側 4km 地点の線量は、ごく微量で 0.05mSv。 同心円より外側に、もはや被ばく無し (キリッ!)
 ★【広報政府見解】★
  ↑ 
そんなわけないでしょ、ほら。


半径4km の外なんてもう放射線は全然届きません。そこは被爆ありません。手帳とか要りません(キリリッ!)
★【広報政府見解】★
いえいえ。内部被曝してます。(黒い雨訴訟・各原告の被爆地点)

批判を受けている厚労省ホームページ

http://ninteisiryo.blogspot.jp/2016/08/blog-post_88.html


上の記事の被爆者女性も亡くなったから肺の組織を推定できたのです。
17万5千人(ピーク時で 38万人)全員の残留放射能・個人線量評価なんて土台無理ですね。

解明されているとしばしば誤解されがちですが、原爆の実際の被爆線量は依然として未解明なのです。
1991年に長崎県と市が合同で行った残留プルトニウム調査では、爆心地から東に9 km 離れた場所(被爆地域の外)で 積算 25mSv の外部被ばくがあったことが報告され(岡島報告)、この結果は1994年に厚生省検討委員会で認められています。
他にもマンハッタン調査団や理化学研究所の実測調査(1945年)があり、同じ8~10km の場所で 20mSv から 70mSv に及ぶ外部被ばく線量が記録されています。
これはシミュレーション値ではなく実際に測った値です。(ピンク色が 4km の同心円・初期放射線のみ


理化学研究所班の測定地図(概略)

マンハッタン管区調査団の測定地図(概略)


島原の東端まで測定された、それら「実測値」は、西山地区以外の場所は放射性降下物が一切ゼロで飛んでいないとしている DS体系の「計算値」とは全く矛盾していて合いません。

理研の計測記録から島原最東端で積算外部被爆 14mSv なんて試算まで出ています。
なんと爆心地から 48km 離れた所。
もし、0.05mSv の証明でいいのなら当時の島原や熊本の人は余裕で被爆者手帳をもらえますね。(広っ!)

4km の洗脳と呪縛、もうそろそろ解いて下さい。
国はこれら一切を無視し続けていますが、原爆による放射性降下物の範囲と影響はそれほどに甚大なのです。

岡島報告、マンハッタン調査団、理化学研究所の調査、どれも国が認めている知見です。
DS02 だけが線量に関する知見ではないのです。にもかかわらず DS を絶対視することで国は科学的権威を装うのです。

個々人の被爆線量を、いちいち手帳の交付要件にするのが無理な理由、お分かり頂けると思います。
やろうとしたところで不可能です。




広島では「黒い雨」訴訟、長崎では「被爆体験者」訴訟が行われており、被爆地域の「外」に置かれている地区住民たちが被爆者健康手帳を国や県、市に求め、現在も係争中です。
長崎の被爆体験者(第二種・健康診断特例区域)に、25mSvの外部被ばく(9 km 地点)があった事は国側と原告側の間で共通の認識です。そのうえで内部被曝を含めた被ばく線量や健康影響の有無が裁判でも争われ続けています。


指定地域から外された地区住民
(長崎被爆体験者)は
被爆者健康手帳の申請資格さえない
地域外でも残留プルトニウム

上記にある通り、1994年に岡島報告書に対して厚生省が出した「影響なし」の結論と同様、
「 100mSv以下は健康影響を懸念する線量ではなく、従って原告たちに被爆者健康手帳を交付する必要性はない」が、政府や行政の一貫した根拠とスタンスです。

広島や長崎以外の人になると殆ど知りませんが、被爆地域拡大要求は何十年と続いている被爆地の深刻な社会問題。

被爆未指定地域問題は長崎だけとってみても地方議会でこれだけ沢山質疑されています。これでもまだ全部ではなく最近5年間の議事録のうちの一部。


「被爆体験者訴訟と未指定地域に関する質疑」

PART1

http://ninteisiryo.blogspot.jp/2016/12/blog-post_19.html

PART2

http://ninteisiryo.blogspot.jp/2016/12/blog-post_59.html



原爆症認定訴訟、および被爆者健康手帳交付請求訴訟。両方とも沢山の被爆者訴訟が続いている事実を知って欲しいと思います。


広島「黒い雨訴訟」でも同じ

被告(広島県・広島市・国)はこう言ってます


長崎被爆体験者訴訟不当判決に対する抗議文

「25mSv 被曝しても健康影響なし」は容認できない





上記で一例を示しましたが、きちんと知って頂きたいのは未救済被害者たちの直面してきた、これらの厳しい現実です。

救済を必要としている方々の声を掻き消さないためにも、政府が行っている援護施策や制度内容、法律、原爆被害実相、
歴史背景等について言及するならば正確な情報伝達を心がけて欲しいと思います。

第三者が無責任に間違った知識を広めることは、長年にわたって原爆の被害事実を真剣に訴えている方々や支える努力をしてきた支援者にとっては、事実とは真逆の濡れ衣を着せられて足を引っ張られる妨害と同じで、当事者にとって甚だ迷惑なのです。

誤情報の拡散によって問題認識が正しく伝わらないばかりか、国民に誤解が広がれば、それこそ問題を隠したい政府の思うつぼ。援護施策を受ける権利を有している被爆者全体への偏見にも繋がり、その結果、政府が行っている原爆被害の矮小化にも加担することです。

国策で戦争を行った日本政府は、講和条約で賠償請求権を放棄したにもかかわらず戦後 12年間にわたって原爆被害者を放置しており、戦争遂行主体としてその責任があります。しかし国による理不尽な線引きの抑圧や原爆被害の過小評価による認定却下など、政府が国家補償法としての成立を全力で阻止した結果に作られた被爆者「援護法」は決して十分なものではありません。

その正当化のために政府が国民に押し付けている戦争被害受忍論によって原爆被害者も切捨てられる問題は、70年以上を経た今でも続いています。

DS 線量評価による被爆線量の推定値に固執を続けているのは国で、なぜなら法律をこえた領域で援護不要論の好都合な盾として政治利用できるメリットがあるからです。
たとえば昭和30年代には、政府は当時のICRP 基準を根拠に、一度の放射線被ばくであっても 220mSvまでは問題なく「許容できる範囲」だとし、ことさら初期放射線だけをとりあげつつ「特別被爆者の医療援護は 2km まで」とする距離制限を正当化していました。

下の写真にある昭和50年代では、「3km 以遠にいた者であれば被爆線量はゼロである」などと言い切っていますよね。
被害があったことで既に定められている指定地域について、線量がない(放射能被害がない)ことを後だしで主張し、都合よく導いた政府見解を既成事実化することで、こうして援護対象者が増えないように国が抑えつけているのです。
今もそれは同じです。

つまりそれは政府にとって「切り捨てるための根拠」なのです。それを「少ない線量でも援護している根拠」などと短絡的に思えてしまうこと自体、被爆者問題の歴史を学んでおらず構図を根本的に理解できてないということです。



こうした原爆放射線被害に対する政府の姿勢と手法が、そのまま原発事故の対応に反映されるという両者の繋がり。理解して頂きたいところです。

吉田さんご自身は何かしらの矛盾を突いているつもりなのかもしれませんが、実際に行われてもいないことを根拠に主張したところで、それを言われた政府にとっては痛くも痒くもなし。何も困りません。
線量の整合性がなくとも、そこに法律が絡まないから関係ないのです。国みずからで言っているのですから。

線量基準など法律にない(作れない)からこそ、逆に国は線量評価を自在に振り回すことができ、それを認定却下や地域拡大阻止の武器として政治利用できるのです。
政府にしてみれば、それは少なく言えば言うほど、あらゆる面で得をする。
少なく言うことでのデメリットはひとつもない。

だから、被爆指定地域ですら「線量はゼロ」だとか、原爆症認定申請者に対して遠距離、入市、救護を「被爆ゼロの者」とまで国は言い切る。

どこかが矛盾してるとか辻褄がどうだとか、そんな浅知恵パンチで政府が生真面目にヘコんで手帳を出してくれるくらいなら未指定地域の住民が長年苦労したり訴訟しません。

よりによって内部被曝隠しのための政府プロパガンダを、自分たちの光明みたいに錯覚してヌカ喜びする迷走。
原爆放射能被害を過小評価するための政府広報を、わざわざ広めるお手伝いまでしてくれる無知な「反原発派」までいるのだから厚労省は楽なものですね。

原爆症訴訟の法廷では国側の代理人が「あなたの推定被爆量はゼロだ」と原告に面と向かって言ってきます。
すでに被爆者手帳を持ってる人にです。被爆者に対して国はいつでもこういう態度。
もし吉田由布子さんの言う事が本当なら国がゼロと言うのだから、そこで手帳を返さなきゃいけないじゃないですか(笑)

転移がんで余命宣告されても「国がやっていることを暴きたい」と訴訟で闘った、ある東京訴訟原告の女性被爆者(故人)に対してこう言い放っている国(下の意見書)。

この女性の被爆証言と国側意見書の両方を読み比べてみてください。



原爆症認定集団訴訟の法廷にて「Sさんの証言」

http://ninteisiryo.blogspot.jp/2017/01/blog-post.html


厚労省は残留放射線による外部・内部被曝を無視する姿勢を未だあらためません。
被爆者の闘いの足を引っ張ることは、そのまま原発事故被害者救済の道をもっと遠のかせているのと同じ事です。


Sさんに対する国(厚労省)からの意見書




ここで最後に。

当事者の大事な人生を引っ掻き回すのはやめて下さい。
福島原発事故が起きて以降、こうした嘘を言う人達が後を絶ちません。

権利を求める主張はもちろん自由。

しかし被爆者について事実に反することまで言いふらす迷惑行為がいいはずないでしょう。
実際に被爆者の身内を持つ者として不愉快ですし、原爆被害に遭った方に対して大変失礼だと思います。

虚偽の吹聴はやめて頂きたいこと、それを批判として指摘しておきます。

(文責・岡 紀夫)

マンハッタン調査団の実測値をもとに

本田孝也医師が推計した

被爆指定地域「外」住民の最大被曝線量

今も、この最大線量地区住民(8~10km地点の矢上)の方々に

被爆者健康手帳はありません


被爆を認められないヒバクシャたち 

広島「黒い雨」被害者・長崎「被爆体験者」


長崎被爆未指定地域「被爆体験者」の声(毎日新聞)


原爆投下70年の長崎〔甲状腺がんとの闘い〕

「被爆者」なぜ認めぬ

〔1〕米軍資料で原爆被害解析〔2〕理研の放射線記録入手/長崎


〔長崎・被爆未指定地域問題〕山本誠一氏の議事録から



「被爆」認定(被爆体験者)長崎地裁判決(2016年2月22日)の波紋


黒い雨、報われず70年 自宅近くで線引き、援護外に

https://renree.blogspot.jp/2017/01/70.html