米国原子力委員会がABCCに核実験の人体影響調査依頼を検討
米原子力委員会が1950年代、大気圏核実験の放射性降下物による人体への影響を調査するため、各国で死産児らの骨を収集していた「サンシャイン作戦」に関する秘密文書を中国新聞が入手。
日本では原爆傷害調査委員会(ABCC)を通じて骨を集めるよう検討。
放影研は22日、「ABCCの関与はなかった」との内部調査結果をまとめる。
(中国新聞 1995年2月16日)
米放射能人体実験に死産児利用 日英豪からも骨提供か
放射能の人体実験で米政府が1950年代から1960年代にかけて、死産児の遺骨を集めて利用していた米原子力委員会(AEC)の「サンシャイン計画」で、実験に利用されたのは米国内の死産児だけでなく、日本や英国、オーストラリアの病院で集められた遺体も使われていた。計画の概要は1995年ごろまでに米国で公開されたが、英日曜紙「オブザーバー」が3日、英国政府がこの計画に協力していたことが初めて分かったと伝えた。
オーストラリア政府は7日、残留放射能の測定のために、死産児や成人の遺骨が、遺族の許可なしに海外に運び出されたと認めた。
トルーマン政権下で発足したAECが、ロスアラモス国立研究所で行った「サンシャイン計画」は、放射性落下物による被曝(ひばく)効果の調査を目的にしたもので、乳幼児にストロンチウムやヨウ素などを摂取させ、骨内のカルシウム濃度との関連を調べるなどの実験を行った。ノーベル賞受賞者のウィラード・リビー博士らが指導した。
米政府が行った一連の放射能人体実験については、1994年に当時のオリアリー・エネルギー長官が情報開示を指示し、1995年に公開された。これによって明らかにされた「サンシャイン計画」担当者らの書簡によると、1950年代のロスアラモス研究所には米国やインド、日本の病院から死産児の骨が集められ、ストロンチウム90の人体残留量を調べる実験に使われたことが、すでに明らかになっていた。
AECの科学者のひとりロバート・ダドリー博士が1953年に同僚にあてた手紙には、「人骨の自然な放射量とその地域差を調べることを名目に、各国から骨を集める」とあり、「日本からは、原爆傷害調査委員会(ABCC)に頼むのがいいだろう。6―8体分の骨が手に入るといい」と書かれている。ABCCは1946年、広島・長崎の原爆放射線被曝者における放射線の医学的・生物学的影響の長期的調査を目的に、米政府が設立した。
英オブザーバー紙によると、同紙が入手した米エネルギー省の文書から、この「サンシャイン計画」に英国政府も参加していたことが新たに分かったという。同紙によると英国の政府原子力機関の指示で1955年―1970年の間に死産児6000人分の骨が英ミドルセックス病院などに集められ、一部は米国へ送られ、残りは英国の放射能科学者らが独自の実験に利用。英米は実験結果を互いに報告しあっていたという。
さらにオーストラリア放射能保全原子力安全庁のジョン・ロイ長官は7日、1950年代に、死産児だけでなく、生後数週間の乳児、5歳―19歳の子供、39歳以下の成人の遺骨が、遺族の許可なく米国に送られたと認めた。オブザーバー紙などの報道を機に、ウールドリッジ健康担当相が5日、事実関係の解明を約束したためで、このほど当時の政府文書が発見されたという。
ロイ長官は、「1950―60年代に世界各地で繰り返されていた大気中核実験による放射能汚染が、オーストラリア国民にどう影響しているか知るのが、当時の政府の目的だった」と説明した。
(CNN 2001年6月7日)
ロバート・ダドリーの手紙を全文掲載
こちらがロバート・ダドリー博士(米国原子力委員会メンバー)が同僚ジェームズ・スコット博士に宛てた(1953年当時)公式の手紙文書である。
新聞記事に書かれているその「手紙」の全文を入手してみた。
ダドリーはこの手紙で、核実験による人体影響を調べるうえでABCCへの人骨収集依頼をスコットに提言している。
しかし冒頭記事にもある通り、放影研(重松逸造理事長)は1995年の新聞スクープ報道後すぐに内部調査を行ったものの、関与を否定している。
このダドリーの手紙から約3ヶ月後、米国の水爆実験「キャッスル作戦」が行われ第五福竜丸事件は起きた。
(以下)December 9, 1953
Dr. James K. Scott
Atomic Energy Project
University of Rochester
P.O. Box 287
Station 3
Rochester 20, New York
Dear Dr. Scott:
This letter will explain in a little more detail than I was able
to do over the phone our interest in obtaining infant skeletons
from Japan.
The Division of Biology and Medicine is engaged in a project to
evaluate the long range radiological hazard which might result
from the large scale use of atomic weapons. Studies have shown
that an important feature of this hazard is the incorporation of
the fission product Sr90 into human bones. In order to help in
the evaluation of the hazard, we are providing for the direct
measurement of the world-wide Sr90 distribution which has resulted
from the 40 or 50 nuclear detonations in the last few years.
One type of sample on which we are concentrating is the bones of
infants, either stillborn or up to a year or two of age. We have
found that stillborn bones are easy to obtain in the United States,
and are trying to extend our collection to foreign countries. It
appeared that the ABCC would be a logical contact in Japan. We
could use perhaps 6 or 8 skeletons from that area.
It has been decided, for various reasons including public and
international relations, to classify this project SECRET for the
present. Hence, the unclassified description of our purpose in
obtaining these bones is for Ra analyses. We actually are providing
for the measurement of Ra as well as Sr90 in many or all of the
samples, so that the Ra story is merely incomplete, not false. The
complete purpose I have described for you alone.
From the type of measurement which we expect to make, you can
understand our specifications on the bone processing before shipment.
The primary consideration is the prevention of radioactive
contamination, by either Sr90 or Ra. Because of the universal
presence of small quantities of Sr90, the less processing the better.
Complete removal of flesh and complete preservation are not essential.
I am sure, however, that the use of a small quantity of formalin
preservative would not cause appreciable contamination.
For shipment, I presume the ABCC has standard procedures. We could
supply plastic bags if this would help. Furthermore, if transshipment
of the skeletons to the United States is complicated, we could
arrange for our Embassy in Japan to help. The destination would be
our office in Washington.
When you get to Japan, we would be pleased if you could let us know
how the prospects for collection and shipment of such bone samples
look, and when we might expect to receive them. Needless to say, if
we can be of any help at this and we would be glad to take whatever
steps you suggest.
I hope this rather unusual request will not give you too much trouble.
Any such bones you can get us will be very interesting in our project.
Sincerely,
Robert A. Dudley
Biophysics Branch
Division of Biology and Medicine
cc C. I. Dunhan
米原子力委員会メンバーのロバート・ダトリー博士がジェームズ・スコット博士に宛てた手紙には、サンシャイン計画で必要となる人骨サンプルの収集に関して、「日本の場合においてはABCCに協力依頼すべきだ」と記されている。
そしてスコットは実際に来日した。
ロチェスター大学で放射線生物学、病理学、薬理学を専門に学んだスコットは、1954年から翌1955年までの約1年間、長崎ABCCに研究者として在籍している。
調べてみると私の疑問についての答えは、あっさりと見出された。
竹峰誠一郎氏の論文に、ABCCのサンシャイン計画関与について述べられた重要な一節が記されていた。
竹峰誠一郎氏 「視えない核被害」
「プロジェクト・サンシャインは日本も組み込まれ、試料として人骨などが日本からも提供されていた。例えば、米アカデミー文書館のABCC関連資料の中に、1954年6月、広島のABCCから原子力委員会のニューヨーク作戦室に、計44体の人骨が送付された記録が残されている。
44体の人骨は「1952年7月22日から 1954年2月6日の間に、広島のABCCで検死解剖された9歳から88歳までの被験者から得られたものだ」と、ABCCのケネス・B・ノーブル(Kenneth B. Noble)は1959年4月28日付の覚書の中で記している。ABCCで検死解剖された広島の原爆被爆者から骨が集められ、米国に渡っていたのである。
また、1954年3月から6月にかけて、「日本・・長崎大学医学部の病理学教室教授の林博士から得られた五人の死産児の脊柱と長骨が、ABCCの J K.スコット博士から提供された」と、1955年1月に発刊された "Project Sunshine Chicago Bulletin" に記録されている」
スコットは確かに人骨を米国に送っていた。
時期は1954年の3月から6月にかけて。
連続水爆実験「キャッスル作戦」により第五福竜丸などをはじめとする日本の漁船が死の灰の被害を受けたことが明るみとなり大騒ぎになっていた、その真っ只中に秘密裏に送られている。
連続水爆実験「キャッスル作戦」により第五福竜丸などをはじめとする日本の漁船が死の灰の被害を受けたことが明るみとなり大騒ぎになっていた、その真っ只中に秘密裏に送られている。
スコットはビキニ水爆実験が実行される3月1日以前にタイミングを合わせるようにして長崎ABCCへと就任している。
当時のABCCは2年から3年単位の勤務契約で更新するのが通常だが、スコットの場合はわずか1年にも満たない短期滞在だった。
ABCC研究者としての肩書で来日しているが、スコットの真の役割は核実験の影響調査を日本で行うことだったのではないか。
ABCC研究者としての肩書で来日しているが、スコットの真の役割は核実験の影響調査を日本で行うことだったのではないか。
驚くのは長崎大学の林一郎の名前が協力者として具体的に登場すること。
当時の長崎大学病理学教室は長崎ABCCの剖検を請負っていたところであり、林はABCC遺伝調査においても被爆者の新生児や胎児の解剖調査を主導していた人物である。専門は奇形学だ。
死産児を入手することなど林にとっては容易い。
林が過去に731部隊の経歴を持つことは知られている。
死産児を入手することなど林にとっては容易い。
林が過去に731部隊の経歴を持つことは知られている。
林一郎からスコットに提供された死産児の骨。
サンシャイン計画の一環として、紛れもなくABCCがそれを集めていたことになる。
サンシャイン計画の一環として、紛れもなくABCCがそれを集めていたことになる。
放影研は関与を否定
だが、サンシャイン計画の一環として行われた軍事目的のための骨試料収集に
ABCCが関与したことは間違いない事実である
核実験による世界中の放射性降下物影響を調べた米国の「サンシャイン計画」。
核実験による世界中の放射性降下物影響を調べた米国の「サンシャイン計画」。
日本人への影響を調べる試験試料として長崎大学の林一郎がスコットに提供したという死産児数体の骨。
その報告書の原文を探し出して実際に確認してみた。(その一部を掲載)
林がスコットに試料提供した約3か月前に、米原子力委員会のロバート・ダドリーがスコット博士に宛てた手紙では、死産児の骨収集の協力依頼先としてABCCが指定されている。
ダドリーはサンシャイン作戦での試料収集を計画して推し進めた中心人物のひとり。
文中には人体の骨に蓄積されるストロンチウムを調べるサンプルをダドリーが求めていることが書かれてある。
手紙の受取人であるスコットは、この手紙のあと来日し長崎ABCCに研究者として在籍した。
文中には人体の骨に蓄積されるストロンチウムを調べるサンプルをダドリーが求めていることが書かれてある。
手紙の受取人であるスコットは、この手紙のあと来日し長崎ABCCに研究者として在籍した。
そしてビキニ環礁で米国の水爆実験が実行されるとすぐ、予定通り、日本での収集任務を遂行した。
長崎大学の林一郎から死産児数体の試料を譲り受けると「サンシャイン計画のための試験サンプル」としてニューヨーク本部へと送っている。
それがこちらの記録(一部)。死産児の骨試料情報がリストされている。
骨に含まれるストロンチウム量の単位を「サンシャイン・ユニット」と命名して報告されている。
(※ 色線は筆者によるもの)
このように判っているだけでも50体の骨試料がサンシャイン計画の一環でABCCから提供されていた。
それがこちらの記録(一部)。死産児の骨試料情報がリストされている。
骨に含まれるストロンチウム量の単位を「サンシャイン・ユニット」と命名して報告されている。
(※ 色線は筆者によるもの)
このように判っているだけでも50体の骨試料がサンシャイン計画の一環でABCCから提供されていた。
放影研がこれらの関与を否定したままであることを、今後も記憶に留めておくべきだ。
第五福竜丸事件の衝撃と混乱が起きていた最中、その裏では日本人の骨が収集されABCCを通じて米国へと送られていたのである。
これらは、ABCCが核戦略上に位置付けられた軍事目的のための調査機関であることを、あらためて裏付けるかたちとなる事実といえる。
これらは、ABCCが核戦略上に位置付けられた軍事目的のための調査機関であることを、あらためて裏付けるかたちとなる事実といえる。
【関連記事】
死の灰の影響、米が極秘調査…死産胎児の骨入手
(読売新聞 2006/03/08)
1950年代、米政府が、核実験の死の灰による日本人への影響を極秘に調査していたことが明らかになった。本紙記者が、米エネルギー省核実験公文書館で、機密指定を解除された当時の文書を入手した。
文書は、米原子力委員会のダドリー博士から、政府の計画にかかわっていた米ロチェスター大のスコット博士にあてられたもので、53年12月9日の日付がある。日本の漁船員がビキニ環礁での水爆実験の犠牲となった第五福竜丸事件の約3か月前にあたる。
調査の目的は、当時すでに50回を超えていた核実験で生じる死の灰の成分で、長く骨に蓄積する「ストロンチウム90」を測定するため。本来の目的は隠ぺいされ、表向きは「(自然界に存在する)ラジウムの分析」とされていた。
この極秘調査の存在は、1995年に放射能人体実験に関する米大統領諮問委員会の調査で初めて明るみに出た。過去の欧米の報道では、インドや豪州も調査対象になったことがわかっているが、今回入手した文書には、冒頭から「日本での(試料)入手に関心がある」と明記され、当時、広島・長崎の原爆による影響を調べていた「原爆傷害調査委員会(ABCC)」と在日米大使館の協力に言及するなど、日本に調査の重点を置いたことを示唆している。
日本が対象となったのは、ABCCの存在が隠れみのになるだけでなく、太平洋の核実験場に比較的近い地理関係にあることが重視されたとみられる。
文書は、死産した胎児だけでなく、死亡した乳幼児も対象に、日本からは「6~8体を分析に使う」としており、日本から死の灰が蓄積しやすい胎児や乳幼児の骨を入手する極秘任務に着手していたことがうかがえる。