2016年12月6日火曜日

(追記)訂正の申し入れに対するNPO法人・ヒューマンライツ・ナウの、その後の対応について




「被爆者援護法は、年間1ミリシーベルトを基準と定める」という誤りの記載について
ヒューマンライツ・ナウに出版物の訂正を申し入れました

(詳細リンク)




上記の通り、2016年8月に出版物記載の一部訂正を求めましたが、その後のヒューマンライツ・ナウの対応には真摯な姿勢が感じられません。
指摘を受けても、すみやかに訂正の行動をとらない当該団体の姿勢は、むしろ内容を間違えたことより問題があるのではないでしょうか。

ここであらためて私の感想と批判を率直に述べます。

本書は、「年間1ミリシーベルトを基準とする被害者の権利」を解説する中で、原爆被爆者の援護施策に関する法律「被爆者援護法」について触れ、伊藤氏の寄稿および巻末の「日本のNGO・専門家のコメント」等としても言及してあります。

そこでは、「被爆者援護法は年間1ミリシーベルトを基準として定めている」と紹介しつつ論拠の柱とし、それらと同様に原発事故の被害者にも1ミリシーベルト基準の施策が与えられなくては不平等であるとの主張が展開されており、こうした説明が数箇所にわたり見受けられました。

しかしながら、被爆者援護法に 1ミリシーベルト基準が定められている事実などなく、これは間違った認識です。従って主張の根拠になりません。記述されていたのは表面をなぞった知識で、象徴的なのが、厚労省がインターネット上で公開した単なる「絵図」を文書と表現したり、本来の法律条文を何も確かめていないといった安易な引用です。

原爆については70年以上を経ても、いまだに訴訟は絶えることがなく、原爆被爆者が直面し続けてきた隠蔽や抑圧、厳しい闘いの現実があります。その史実、被害実相に関する知識、原発と原爆という両問題の繋がりなど、日頃の報道等でも注意深さを持てば大筋を知ることは可能で、一般常識の範囲で正しい問題意識を持てるはずです。それは過去のものではなく現在進行形で続いている社会問題です。

本書に寄稿したそれぞれの筆者たちの原発事故被害者に対する想いは理解できますが、刊行した団体関係者に視野の偏りがあり、比較として持ち出された原爆被害者に関しては不勉強なところを感じました。

グローバー勧告自体は重要なものでしたが、一部誤った説明が記載されているため、まだ救済されてない方々の訴えを皮肉にも邪魔する格好となり、現行の被爆者援護施策に関する誤解という弊害を社会に拡げてしまっています。法律家が出版物でそう説明していれば、知らない人はそれを疑わずに事実と受け取ってしまうでしょう。

間違った知識は誤解を生み、無理解や偏見に結びつきます。これは被害の特殊性ゆえに社会から理解されにくい被爆者が、長く苦しんできたことのひとつです。

福島原発事故以後、原爆の放射線被害にも関心が集まり、話題に取り上げられることが多くなりました。しかし原発事故の被害や補償権利を主張する人達が利用する「材料」や「ネタ」として被爆者が存在しているわけではありません。残念なことに、そこにとても 鈍感なまま無自覚に踏み荒らしてしまう人も増えたように思います。

また、虚偽を根拠にしてしまえば大切であるはずの主張の信頼性、正当性も当然毀損されます。それは情報を発信する側に立つ場合において十分気をつけなければならない点です。出版関係者の思い込みと独善傾向が先走り、注意を払うべき事実精査に慎重さを欠いている印象を受けます。

各分野の専門性を伴った主張を行う場合、一部関係者だけで固まらず、特によく知らない事柄については外部からの査読を複数受けるなどの確認作業が必要だと思います。公に出版するのであれば尚更です。そして今回のように後で誤りが見つかった場合、すぐに適切な対応が望まれます。他人の人生の深い部分に影響を及ぼすことだからです。

第三者が情報の質を軽率に扱えば(そして訂正しなければ)、実際に不利益を被るのは当事者(原爆被害者)です。
出版した団体は責任をもって今後の対応を再考して頂きたいところです。(2016年12月)


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