2016年4月30日土曜日

「福島に被ばく者手帳を作る会」発起人たちの素性(その2)





2016年4月28日、福島県郡山市のビックパレットで櫻井よしこ氏の講演会が行われた。

この講演チケット販売先は、ザ・ウィークリー編集部(企画室コア内)、
主催は「福島県倫理法人会」とある。

郡山市の広告代理店「企画室コア」は三田公美子氏が代表を務める。
三田氏は「福島に被ばく者手帳を作る会」(2016年4月、発足)を代表発起人として立ち上げた人物でもある。
三田氏が倫理法人会主催による「櫻井よしこ講演会」のチケット販売を行う事情とは何か。
今回は三田公美子氏の経歴にスポットを当て、三田氏が関係する別団体の事柄もあわせて検証する。


現在、三田公美子氏が同じく代表を務めている団体のひとつに「福島県女性経営者プラザ(FJP)」がある。
この団体は福島県内の女性経営者同士の交流を目的とし、平成7年に福島県中小企業団体中央会のバックアップを受けて任意団体として設立。2014年、設立20周年を機に一般社団法人となった。
最初に立ち上げた中心人物は、平成8年の正式発足時に(FJP)初代会長となった小口潔子氏(郡山市磐梯熱海温泉・四季彩一力・女将)である。
小口氏は現在、日本旅館協会理事、日本温泉協会副会長を務めており、安倍首相夫人の昭恵氏とも親交がある。平成26年には「国家又ハ公共ニ対シ勲績アル者」に授与される「旭日双光章」を受賞している。

<安倍首相を表敬訪問する小口潔子氏(安倍首相の右隣、藍白の着物)>
<小口潔子氏に関する報道記事>
 http://kirokusec.blogspot.jp/2016/04/2013.html 


平成14年、小口氏の会長退任により、三田公美子氏が副会長から(FJP)会長に就任。
平成20年で、当時副会長だった川崎葉子氏を後任として三田氏はいったん会長を退いている。
川崎葉子会長(FJP)新体制三年目のさなか(三田氏は会員として在籍)、2011年3月に東日本大震災が起きる。福島第一原子力発電所がある東電所有の敷地から3キロメートルの至近距離に在住していた川崎会長は、原発事故後、放射能汚染から逃れるため家族と共に福井県へと避難した。
川崎氏が不在となったため、三田氏が二度目の(FJP)会長に復帰する(平成23年)。以降も三田氏は代表として団体を運営し現在に至る。
(FJP)の活動は多様で、地元女性経営者たちが交流や啓発を通じ、異業種間はもとより他地域経営者や自治体との人脈をひろげ連携することで、地域経済の活性化や団体収益、新規事業の創出等を促す目的がある。

福島県女性経営者プラザ(FJP)と「福島県倫理法人会」は全く別組織だが、人事面では深い繋がりも持っている。
(FJP)前会長の川崎葉子氏は当時、福島県倫理法人会に所属。同会の「普及拡大委員長」をしており、平行して早双地区商工会女性部の幹部でもあった川崎氏は「福島県早双倫理法人会」の会長だった。
福井県に移った現在も全国の倫理法人会支部モーニングセミナーに講師として出向き、精力的に同会の普及活動を行っている。
(FJP)現副会長のK・S氏と(FJP)総務副委員長のS・T氏は、両者とも福島県倫理法人会の委員長で、それぞれ「郡山市倫理法人会」「郡山中央倫理法人会」の会長。

このように福島県女性経営者プラザには、互いを「倫友」と呼び合う熱心な倫理法人会員が複数名在籍しており、倫理法人会と(FJP)両方の幹部を兼任している。
(FJP)会員のN・C氏は、郡山中央倫理法人会の経営者モーニングセミナーで講師として講演。また、(FJP)ではないが三田氏の広告会社「企画室コア」の編集部社員も、社員自身が倫理法人会員でセミナー講聴に恒例参加している日常を社のブログに記している。

三田公美子氏自身も倫理法人会のモーニングセミナー講師として郡山市や須賀川市などで、しばしば講演を行っている。
他にも、08年に(FJP)が主催した三田氏の著書出版記念講演会では、入場チケットのうち50枚を郡山中央倫理法人会が引き受けて販売したりと同会とは懇意な間柄だ。

一方、櫻井よしこ氏といえば倫理法人会モーニングセミナー講師としても常連で、関東圏を中心に各地の倫理法人会支部で講演している。

浦安市倫理法人会・櫻井よしこモーニングセミナー
2013年「変わるのは今しかない!」
http://blog.rinri-chibab.org/?eid=1247097
2014年
http://blog.d-power.jp/?eid=1098564


過去、平成16年1月に行われた(FJP)の主催でも、三田代表らは櫻井よしこ氏を招き、「変わるのは今しかない」と題した大型公開講演会を企画。倫理法人会が普段から常連で使用する郡山市の某ホテルで開催している。講演には福島県知事(当時)の佐藤栄佐久氏も駆けつけた。

三田氏と櫻井氏の接点には、こうした「倫理法人会」の影がある。

この倫理法人会については、よく御存知の方もいるだろう。倫理法人会は「倫理研究所」の法人会員向け組織である。
倫理研究所は、創設者の丸山敏雄が当初所属していた扶桑教「ひとのみち」教団(現在のPL教団)から派生・分裂して創立した。
近年になり一般社団法人化しているが実質は宗教組織だ。
現在の倫理研究所理事長は丸山敏秋氏。平成27年に倫理研究所が東京千代田区のホールで開催した「第1回日本創生フォーラム」では櫻井よしこ氏を講演者として迎え、丸山敏秋氏と櫻井氏ふたりによるトークセッションも行われている。

創立70周年記念:日本創生フォーラム開催(倫理研究所ホームページ)
http://www.rinri-jpn.or.jp/business/social/01/nihonsosei.html 

丸山氏は「親学推進協会」の評議員、櫻井よしこ氏は同協会顧問であり、丸山氏は「日本会議」の代表委員でもある。倫理研究所は日本会議構成団体のひとつとして挙げられている。

日本会議代表者大会での櫻井よしこ氏

(FJP)に話を戻すと、福島原発事故が起きる以前、福島県女性経営者プラザは小口会長の時代から、福島第一、第二原子力発電所や新潟県柏崎刈羽原子力発電所の施設を視察するツアーに幾度も参加している。

これはNPO法人「首都圏エネルギー懇談会」が恒例で主催していたミーティング交流会で、首都圏、新潟県、福島県の女性経営者グループが合流して原子力発電所施設を見学し、それにより「原子力平和利用」の様子を「民間一般人」が間接的にPRする、というもの。
この首都圏エネルギー懇談会の事業資金を出しているのは実は電事連で、まわりくどく中立を装った原子力推進プロパガンダと安全広報戦略の一環である。
東北原子力懇談会と密に連携する商工会議所や県商工会女性部と同様、(FJP)もまたエネ懇が組織動員する女性部門の福島要員という一面をもっていた。


「電力業界資金提供:任意団体を後方支援、スタッフ派遣も」毎日新聞

「エネ懇は04年、同調査会会長などを歴任した茅陽一・東大名誉教授を代表に発足。・・震災前の事業規模は年1、2億円で、やはり電事連が提供したという。
エネ懇は、東電による原発の「トラブル隠し」発覚(02年)による原発への不信感を払拭しようと、首都圏の商工会議所の女性会員と福島や新潟の女性との交流会や、自治体主催の環境博などの講師としてタレントの派遣事業を展開した」
http://kirokusec.blogspot.jp/2016/04/blog-post_24.html

「福島県女性経営者プラザの川崎(葉子)会長は、昨年(平成20年)の首都圏エネルギー懇談会主催の柏崎視察の際にも参加...」
http://joseikai.tokyo-cci.or.jp/activity/h21/1014.html

首都圏エネルギー懇談会:女性経営者交流in福島2010
「電気の生産地である新潟県・福島県と、消費地である首都圏との交流を目的にした女性経営者交流は、毎年、東京、新潟、福島のいずれかで開催されています」
http://joseikai.tokyo-cci.or.jp/activity/h22/1210.html

では原発事故以降の福島県女性経営者プラザの動向はどうだろうか。
平成24年には学者たちを相馬市の温泉ホテルに招き、(FJP)会員と一般参加者あわせて約40名枠の移動例会が行われた。
派遣されたのは日本放射線影響学会に所属している3人の放射線専門家で「放射線の人体影響」と題するセミナー勉強会。松本義久氏、松本英樹氏、渡邊正己氏が講師として招かれている。

日本放射線影響学会は、2011年の福島原発事故以降、文部科学省傘下の独立行政法人科学技術振興機構が推進するリスクコミュニケーション事業の委託を受け、福島県内を中心に「放射線健康影響説明Q&A講演会」のプロジェクトを推進しており、多数の小中学校や民間施設をまわり一般市民向け講座を展開している。
所属する松本義久氏は東日本大震災にともなった原発事故の直後からテレビに頻繁に出演。さかんに安全論を唱えていた人物で記憶している方も多いだろう。このプロジェクトの指揮をとる渡邊正己氏も「100mSv以下は問題なし」を支持する専門家のひとりだ。

南相馬市在住のルポライター、奥村岳志氏が検証しているので以下のブログ記事を参考にされたい。
渡邊京大教授の南相馬講演と危険なプロジェクト
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-97.html

日本放射線影響学会という学術団体についての詳細は省くが、以下に並べた画像をざっと観ても大筋の理解は容易だろう。

ここで特筆したいのは、日本放射線影響学会リスコミプロジェクトのスポンサーに福島県女性経営者プラザが入っている事実だ(平成23~24年)。
このような政府系リスコミ事業の推進に対し、(FJP)は賛同支援団体として原発事故後も活動資金提供を行っている。

http://jrrs.kenkyuukai.jp/special/index.asp?id=7168


三田公美子氏がこの(FJP)代表である以上、当団体のこうした方向性についての紛れもない当事者である。
これらの事実と自身が無関係であるかのごとく、ひと括りに「責任は日本人すべてにある」といった都合のいい抽象論でくるむ三田氏のコメントに筆者は違和感を覚えた。セリフ表面の耳ざわりはいいが、これではまるで遠い他人事のような口ぶりだ。

東京新聞:「福島に被ばく者手帳を」 医療費補償求め市民団体発足
代表発起人:三田公美子氏
「原発政策を容認し、環境を汚した責任は日本人すべてにある...」

現在、三田氏は岩城光英議員(安倍自民内閣、現法務大臣)の後援会長をしており、夏の選挙に向けた活動支援を開始している。

だが、「福島に被ばく者手帳を作る会」は設立趣旨を以下のように掲げている。
この言葉を信用できるだろうか。


最後に、誤解のないよう今一度、筆者の考えを述べておきたい。
この「福島に被ばく者手帳を作る会」をどう観るか、人物を含めて賛同できるのか、入会を検討するか否か...等、当然それは各人の判断と選択次第である。
そして当ブログ記事の内容をどう評価するか、参考にするのか、それも読み手側の自由。
ただ、どの様な形であれこの会に関わりを持とうと考えている方は、これらの指摘もあることを情報として踏まえながら再考して頂ければと思う。
名前を連ねている顧問と報道記事で想像していた代表発起人のイメージとは違う印象を受けた方もいらっしゃるだろう。

2011年に三田氏が、他人の名前を勝手に使用した偽の投稿記事を「ザ・ウイークリー」に掲載して「被ばく安全論」を広めようとした動機も、こうした経緯の一端を辿れば、さほど不可解なことではない。
この偽記事投稿も本当に三田氏が言うように自らの意志で行ったのか、それとも誰かから依頼されたことだったのか、真相は闇だ。
いずれにしても当時、この三田氏の呆れた行為に対して多くの批判の声が集まったのは当然のこと。被爆者をこれほど馬鹿にした行為もなかろう。(了)

偽寄稿:被ばく「効能」強調、実在教授名を使う、郡山のタウン紙
http://nkdm4.blogspot.jp/2011/06/blog-post_15.html

「福島に被ばく者手帳を作る会」発起人たちの素性(その1)
https://renree.blogspot.jp/2016/03/blog-post.html




2016年4月9日土曜日

都築正男博士が早期に見抜いた「原爆残留放射能の被曝」【文献メモ】








原爆爆発後に発生した残留放射能での原爆症描写、特に呼吸によって放射性物質を体内に取り込む内部被曝の様を早くから現場で感じ取り、原爆投下の一ヵ月後にはその存在を確信していた都築正男。
都築は、その未知の現象を原爆の「放射性毒ガス」によって起きるものと表現し、学会医学誌に発表しようとする。
しかし占領下においてアメリカ側からの度重なる圧力と検閲により発表を禁じられ、それでも「放射性毒ガス」の自説を譲ろうとしなかった都築は学会を一定期間追放されてしまう。
長きに渡り、それは日本で研究されず解明は手つかずとなっていった。



上記の詳細に関する【複数の参考文献および、それら記述の一部抜粋】は以下。

【ヒロシマ・残留放射能の四十二年~原爆救援隊の軌跡】

「被爆直後の広島に来て、医学的調査をした東京帝大の都築正男博士は、原子爆弾の被害は、熱線、爆風、放射能の他に『放射性毒ガス』によるものがあると当時発表している。
昭和20年9月8日の論文で『所謂「原子爆弾傷に就いて(特に医学の立場からの対策)』と題するものである。
爆発直後、爆心直下には白い煙様の刺戟性のある瓦斯が漂ふて居て、それを吸い込むと咽頭または喉頭を害し、時には窒息様の苦悩を覚えたと訴える人が少なくない。(中略)各方面からの情報を総合して考えてみると、爆発後数日間はある程度人体に悪影響を及ぼす毒因子が残っていたらしいが、其れが何物であったであろうかとの問題は我々の知りたいところである
放射線医学で学位を取った都築博士は、この原因を、いわゆる核分裂生成物、誘導放射能、そして発生したかもしれぬ『未知の毒物』の三者のいずれかであるとしている。当時すでに残留放射能の存在を看破し、その人体影響を推測した炯眼(けいがん)である。」

【封印されたヒロシマ・ナガサキ:高橋博子】







「ファーレル准将は、マンハッタン計画の責任者レスリー・グローブス少将宛ての、9月12日付の報告で、
昨日広島で行われた日本側公式筋との会合において、東京帝国大学、放射線医学者の都築博士から、原爆が爆発したときに毒ガスが放出されたのではないかとの質問が出された。このような作り話を直ちに叩きつぶすために、本官は都築博士に毒ガスは放出されなかったと正式に伝えた。本官が当地で権威を以ってこの報道を公表し、また貴殿が合衆国において公表することは、極めて望ましいと思われる
と記した。」

【1945年9月12日、ファーレル東京記者会見】







同じ9月12日、東京記者会見でのトーマス・ファーレル准将による発言(一部)
9月9日、日本人当局者は、これらのうちの誰も死亡していないし、誰も深刻な傷害を受けていないと述べた。これは、危険な量の残留放射能はないという、我々の専門家の意見を確認するものである。広島での会合で、東京帝国大学の放射線学者である都築正男博士は、「爆弾の爆発時に有毒ガスが放出された可能性があると考えている」と述べ、我々は確認あるいは否定を求めた。都築博士に対し、そうした仮定は全くの誤りであるという正式の声明を出した。有毒ガスなどは放出されなかった

【封印されたヒロシマ・ナガサキ】



9月19日、GHQ、「プレスコード」発令。




「ファーレルはさらに、9月27日、グローブス宛ての覚書の中で、
日本の公式筋と新聞は、放射能の残留効果に関して間違った発言をした。ある指導的な日本の科学者(都築正男)は、爆発のときに有毒ガスが発せられたのではないかと思うと述べた。私はガスが放出されなかったという件については公式に否定しておいた
と説明している。」

【封印されたヒロシマ・ナガサキ】





日本人科学者による原爆症に関する報告は、GHQの検閲下で管理されていた。とりわけ残留放射能の影響を示す情報は削除された。具体例を挙げると、1946年5月、都築正男博士が『綜合医学』のために書いた原稿は、部分削除の命令を受けてGHQ民間検閲局から返却された。その削除部分とは「爆発操作に伴う何等かの毒瓦斯様物の発生は考え得ることであり、これ等の毒物によって死亡された犠牲者もあったであろうことは想像に難くない。
という記述部分であった。

【原爆報道とプレスコード:笹本征夫】





「検閲によって削除された部分。
都築正男『所謂「原子爆弾傷(特に医学の立場からの対策)<綜合医学>2巻14号(1945年10月号)』の校正ゲラ。
幾多の点から考えてみて、爆発に伴う毒瓦斯様物の発生が認められることであり、これ等の毒物によって死亡された犠牲者もあったであろうことは想像に難くない。次に、この爆発が故意に毒瓦斯様物を発散するよう作られていたかどうかということは目下のところ何等の手懸りを得て居ない。適当な機会があればアメリカ側に聞いてみたいと思っている。






『広島原爆戦災史』掲載、中国新聞(昭和39年7月)記事
「東京帝国大学の都築正男博士(大正十二年・放射線学についての研究論文で学位をとる。)は、被爆後の広島に来て調査した結果、原子爆弾の被害は、熱線、爆風、放射能のほかに、「放射性毒ガス」によるものがあることを、被爆者の症状からつきとめて、帰京後、昭和二十年十一月にこのことを書いたパンフレット三〇部を各地の知名医に配布した。
これをマッカーサー司令部が探知して、全部数を回収し、博士に対し「放射性毒ガスの文字を削除し、英文にして外国へ配布せよ」と命令した。
博士が、これを拒否したため、マッカーサー司令部は昭和二十一年秋、初代ABCC所長テスマー博士を、横須賀のCICで都築博士と会見させ、妥協させようと図ったが実現しなかった。
同年末、都築博士は東京帝国大学教授から追放され、まもなく復帰したが、その後も博士が自説をまげず、放射性毒ガスのあったことを主張したので、二十二年はじめ第二次追放令が発せられ、平和条約発効の年まで第一線に立てなかった。」