2017年1月17日火曜日

カガツの底の住民証言・広島「黒い雨」



黒い雨:70年後の新証言 谷間の集落出身10人 広島

毎日新聞 2015年08月03日

◇被爆者援護対象区域外 健康手帳、集団申請きっかけに

広島原爆の爆心地から北西約20キロの広島県安芸太田町にある集落の出身者10人が今年、原爆投下後に降った放射性物質を含む「黒い雨」に遭ったと新たに証言した。うち4人は甲状腺にがんなどを患っている。この集落は国が被爆者援護法で定めた援護対象区域から外れており、10人は被爆者健康手帳の交付申請が却下されれば提訴する構えだ。広島市・県への同様の申請は計71人に上り、被爆から70年を経てなお、「被爆者認定」を求める動きが広がっている。

安芸太田町船場(ふなば)を中心とする集落で、地元では「すり鉢の底」を意味する「カガツの底」と呼ばれる。中国山地の切り立った山の間を蛇行して流れる太田川に沿った狭い谷間の集落だ。
10人は現在、集落に住んでいない。今年3月、広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会の呼びかけで、黒い雨体験者42人が広島市・県に被爆者健康手帳の交付を申請したのを知り、親族で連絡を取り合うなどして名乗りを上げた。
「川で泳いでいると、石の上に置いた白い体操服に黒い染みがついた」(当時10歳の女性)、「服を洗濯しても落ちなかった」(当時10歳の別の女性)。申請者たちの証言だ。原爆で母と姉、祖父を失った田村知子さん(81)=広島市中区=は当時、集落にいた。中学卒業後は兵庫県の紡績工場など職を転々とした。約30年前から甲状腺機能低下症に苦しみ、「体がだるくてどうにもならない。もう私も早く逝きたい」とこぼす。
7月中旬、70年前に黒い雨に打たれた3人のきょうだいが集落を訪ねた。上の姉(82)は「空が光り『ドーン』という音がしてしばらくすると、夕立が降った。落ちてきた(爆心地に近い)国民学校の出席簿を拾った」。下の姉(75)は「習字の燃えかすが落ちてきたが、黒い雨で真っ黒になっていた」と語り、弟(73)も「近所のおじさんと降ってきたものを拾って歩いた」と振り返った。
上の姉は白内障や肝炎、下の姉は肺を患う。幼い頃にリンパ節が腫れて高熱を出したという弟は5年前に前立腺がんになった。「大雨もよく覚えとる。被爆の対象外にされるのは歯がゆい」と憤る。
広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会事務局次長の松本正行さん(90)=安芸太田町=はこの集落で眠っていた証言を掘りおこし、甲状腺疾患やがんの発病者が多いことを突き止めた。「山に囲まれたこの地域では、放射性降下物がたまった可能性がある。援護の線引きから外れているのに体調が悪い人が多い。一刻も早く手帳を交付してほしい」と求める。
【加藤小夜】

◇対象区域の拡大、国側は認めず

黒い雨体験を訴える人たちによる被爆者健康手帳交付の集団申請は、今年3月に最初の42人が広島市と広島県に手続きを取り、その後も続いている。いずれも被爆者援護法に基づく援護対象区域外の住民。市と県は却下するとみられ、住民らは却下処分の取り消しを求める訴訟を広島地裁に起こす方針だ。
終戦直後に広島を調査した気象台技師らは、爆心地北西の楕円(だえん)状の地域(長径約19キロ、幅約11キロ)で大雨が降ったとまとめた。原爆の爆風で、すすやほこりが巻きあげられ、放射性物質を含む雨になった。国は1976年、この区域を援護対象区域に指定。区域内にいた人は定められた病気になれば被爆者健康手帳を取得でき、医療費が無料になる。
市と県は2010年、独自のアンケート結果を基に区域を約6倍に拡大するよう要望したが、これまで国側は認めていない。