2015年2月27日金曜日

〔長崎・被爆未指定地域問題〕山本誠一氏の議事録から





長崎被爆地拡大協議会事務局長、山本誠一さんが平成13年に長崎市定例会で被爆未指定地域問題について言及し、長崎市長(当時、伊藤一長氏)に質問した際の議事録から一部抜粋しています。実際にあった原爆の放射性降下物による被爆被害を否定され続け、あたかも精神的な影響であるかのように国から扱われて封じ込められる。法的な被爆者としての救済をされておらず被爆者健康手帳を持つことができない「被爆体験者」と呼ばれる被爆者。以下のやりとりから、被爆未指定地域問題の、ごく一端を読み取っていただければと思います。




(山本誠一氏)

被爆地域の拡大是正について。   

長崎の被爆地域問題の検証を進めてきた厚生労働省の検討会は、去る8月1日に最終報告を取りまとめました。その最終報告では、原爆投下時に未指定地域にいた住民について「原爆投下に起因する不安がトラウマ症状(心の傷)となり、今日なお、精神上の健康に悪影響を与えている可能性が高く、また、身体的な健康度の悪化につながっている可能性が高い」と指摘しています。しかし、 その原因については「原爆投下時に発生した放射線による直接的な影響ではなく、もっぱら被爆体験に起因する不安による可能性が高いものと判断される」と結論づけています。

放射線被曝の影響を否定する理由として挙げられたのは、原爆由来の直接の放射線による被曝線量は、爆心地からの距離とともに急速に減少し、 3.5キロメートル以遠では自然放射線による年間被曝線量以下となる。当該地域における調査対象者の被爆距離は6キロメートル以遠であり、実質上、直接の放射線による被曝線量はゼロと見なしうる」としています。   

また、誘導放射線、すなわち原爆からの直接放射線が土壌や建造物に当たって誘導される放射性物質からの放射線による被曝線量も実質上ゼロと考えられると放射線被害の影響を否定しています。

放射線被害を否定する理論的根拠とされているのは、原子爆弾による放射線の線量評価システム、 すなわちDS86に基づくものでありますが、この問題では、長崎原爆松谷訴訟の最高裁判決は、

「DS86を機械的に運用する限りでは、遠距離被爆者の脱毛症状などについては説明がつかない」と退けられたものであります。

厚生労働省が今日まで被爆地域拡大の要求を拒否する理由として挙げてきた、1980年の原子爆弾 被爆者対策基本問題懇談会の答申、いわゆる「地域拡大は科学的・合理的根拠に基づく場合に限る」を基本に、検討会の論議の出発点に据えられたことが、こうした問題を生み出した最大の要因となっているのではないでしょうか。

検討会最後の会議では、検討会のメンバーとして参加されている長崎大学医学部の中根先生や放射線影響研究所の前理事長の長瀧先生からも「本検討会では放射線被曝線量について調査研究はしていないので、この問題を記述する必要があるのか」との疑問が投げかけられました。この問題について、研究班の吉川主任からは、「被爆体験者に対する大規模な心的外傷に関する科学的な調査は初めてのことであり、被爆体験に起因する不安であることを強調するためにも、放射線被曝との関係は明確にしておく必要がある」と発言されました。

今後は、この報告書をもとに厚生労働省で検討され、どのような結論が出されるのかが問題であります。 未指定地域の住民は高齢化し、かつての対象地 区住民約6万7,000人も、今ではわずかに在住者は 8,700人にまで減少しています。生きているうちに被爆者として認めてほしいとの声は切実なものがあります。

そこで、市長に質問いたします。   

市長は、検討会の最終報告をどのように分析し、 認識しておられるのか、また、その上に立って、 今後の取り組みについてご見解をお聞かせいただきたいと思います。




(伊藤長崎市長)

被爆地域の拡大是正についてお答えをいたしたいと思います。

厚生労働省におきましては、本年の8月1日に 第5回の原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書 に関する検討会が開催をされ、検討会としての最終報告書が厚生労働省の健康局長に提出をされました。この最終報告書でございますが、先ほど山本議員もご指摘のように、「原爆体験がトラウマとなり今も不安が続き、精神上の健康に悪影響を与えている可能性が示唆され、また、身体的健康度の低下につながっている可能性が示唆されました。 このような健康水準の低下は、原爆投下時に発生した放射線による直接的な影響ではなく、もっぱら被爆体験に起因する不安による可能性が高いものと判断された」との結論が報告されております。

この検討会は、本市が取りまとめました証言調査報告書を国が科学的な観点から精査・研究することを目的として設置をされ、昭和55年の原爆被爆者対策基本問題懇話会、いわゆる基本懇答申にいう「被爆地域の指定は、科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべきである」との考え方を念頭に置いて検討されてきております。

また、検討会の研究班が本年の3月に実施いたしました長崎での現地調査の結果については、検討会の森座長より「科学的である」ことが確認されております。 さらに、検討会の最終報告書に記載されている 「放射線による直接的な影響ではない」という部分については、検討会において具体的な議論はされておらず、先行研究の結果のみが記載されております。

研究会の主任研究者で検討会の委員でもあります吉川委員から、第5回検討会において、 放射線被曝の線量が全くといっていいほど影響がないと考えられるにもかかわらず、原爆投下に基づく不安というものがもとになって、さまざまな症状が出てきていることを浮かび上がらせたかったし、原爆投下ということによる不安の大きさをより強調するため記載したことが強調されております。

したがいまして、本市といたしましては、被爆体験に起因する精神的・身体的健康状態の悪化が認められましたことは、放射線の直接的な影響ではないが、広い意味での放射線の影響はあったものとしてとらえており、この点を国に強く訴え、 決断を求めてまいりたいと考えております。

本年8月9日の平和祈念式典終了後に小泉内閣総理大臣、さらには坂口厚生労働大臣より、「何らかの措置が必要であり、年末までにはご報告したい」との発言もあり、現在、厚生労働省で具体的に検討が進められているというふうにお聞きをいたしております。  

いずれにいたしましても、被爆地域拡大是正に向けまして、大変重要な時期を迎えているというふうに認識をいたしております。 本市といたしましては、国の動向を見守りなが ら、引き続き厚生労働省を初め地元選出の国会議員により一層のご協力をお願いするとともに、国や関係6町、被爆者団体、地元住民、さらには各政党の皆様方ともどもに連携を密にしながら、適時適切な要請行動を議会とともに続けてまいりたいというふうに思いますので、今後とも皆様方のご支援、ご協力をよろしくお願いさせていただきたいと思います。





(山本氏)


議長の許可をいただきまして、こういうものを持ち込んでまいりましたが、実は、これは8月9日の平和展、県立の美術展で行われたときに、私をくぎづけにした絵画です。「原爆の思い出」という形で書かれておりますが、書かれた方のお名前を見ますと、戸石町(爆心地から、約11キロ)の鳥越重信さんという形で書かれておりましたが、実は、小学校4年のときの思い出というのが、この写真の下にありました。実は私、そのことにくぎづけられたというのは、実は私も同年代なんです。小学校4年生のときに、茂木から眺めた状況と全く類似しているという状況にあるわけです。   

この中で、実は、この方の思い出の中では、目がくらむほどの光に襲われました。間もなく、ものすごい音がして、障子やガラスががたがたと音を立てて揺れてびっくりしました。しばらくして、 家の裏にある墓地に兄弟で上って、ちょっと見えにくいと思いますが、ずきんをかぶって自分のおうちのお墓の前に立って、4人で長崎の方を見て おられる図です。この中で、6点ほど書かれておりましたが、1つは、落下傘は空の高いところに ありましたということで、ちょっと見えにくいと思うんですが、ここに2カ所あるんです。だから、 この絵というのは、昼間に見た印象と夕方の印象と夜の印象を合作した絵になっているんですね。




夜には、もう落下傘は落ちてしまっているわけですけれども、そういう3つを合体させた図になっている。そして、太陽が輝いていました。真っ黒な煙がどんどん湧き出て、太陽が真っ赤になりました。しばらくして、ものすごい量の灰が降ってきて太陽が見えなくなりました。落下傘が川内(爆心地から、11.6キロ)と飯盛(爆心地から、12.5キロ地点と、爆心地から、13.3キロ地点の2ヵ所)に落ちました。川内の落下傘が戸石役場の下の詰所に監視所の人が持ってきました。そのひもを切ってコマひもにして遊んだことを覚えていますということなんですが、私がここで注目したの は、この一帯が原爆投下後、ものすごい量の灰が降ってきたということですよね。この灰をかぶっておられる。この中から、脱毛症状が起こったり、下痢症状が起こったりしておるわけです。これでも放射線と影響がないと言えるのかということを、 実はこの写真を示したのは、そこに大きな理由があったわけです。


そういうことで、この周辺の方々の証言もいろいろお聞きいたしました。もっと身近なところでは、間の瀬地区では、爆心地から7.5キロです。13 キロ地点が被爆地域に入っているのに、7.5キロの 深刻な被害を受けたところが、まだ被爆地域に入っていないというところなんですが、この方は10歳のときに被爆をした。くらむような光と爆風を受け、家の中は目茶苦茶となった。15分後には 土砂降りの雨となり、焼けかすみたいな灰が飛んできた。当時1歳だった妹は、髪の毛が赤くなり脱毛し、2年後に亡くなった。母は、翌年に弟を出産したが、死産だった。その子は真っ黒だった。 近所でも幼い子どもたちが次々に7人亡くなった。 こういう証言が出されております。こういう子どもたちの悲惨な死というのは、放射線の影響なくして何を根拠にしたものと言えるのだろうかということを、実は言いたいわけです。

もう一つ、旧古賀村の上座の地点(爆心地から、11キロ)で、当時19歳 の女性の方からの証言ですが、畑仕事中にピカッときました。体は熱湯の入ったやかんを肌につけられたように熱かった。続いてドーンという音と 爆風で倒れ込みました。ばらばらと雨が降って、 頭に乗せていたタオルがぐっしょりになりました。 灰がついて黒くなった着衣はべたべたしていました。飲料水を賄っていた井水、湧き水のための池でしょうね、もう既に真っ黒でした。この原爆の灰によって真っ黒だった。ひしゃくでできるだけ 水の中の黒いものをのけながら水をくみ、それを飲んでいました。1カ月後、この方の父親と親戚の子ども2人が相次いで息を引き取りました。いずれも高熱と下痢の症状です。こういう状況の中で、この方は2カ月ほどで脱毛症状となって、髪の毛にくしを入れるとずるずると抜け落ちました。

「 私は恥ずかしくて恥ずかしくて、頭にタオルをかぶっていました。それから急に、めまいや頭痛に襲われることが多くなりました。今もたびたび同じ症状に襲われております」

と、こういう思いを持っておられるわけですね。

これがトラウマ症状という形で顕著な形で出てくるんでしょうが、さらに、例えば平山地域は被爆地域に指定されておりますが、その手前の深堀は入っておりません。13キロは入って10キロが入ってないわけですが、そこで、当時25歳の女性の方から証言をいただきましたけれども、

「パーン と光った後、熱くて熱くてあっちっちと家の中に逃げ込みました。背中がひどくひりひりするので、 ばあちゃんに見てもらいました。背中が真っ赤にやけどしていることがわかりました。祖母が濡れ たタオルで懸命に冷やしてくれました。薬をつけた布切れをばあちゃんに2カ月ぐらい張ったりつけかえたりしてもらいました。背中に泡粒のように水膨れができて、布をはがすたびにぐちゅぐちゅとつぶれまた。痛くて寝えきれん夜もありました。痛みは翌年の1月までとれなかった。国が幾ら原爆の影響がなかったといっても、自分がそげんことがあったからね。ほんと腹がたちます。 被爆者手帳を早くもらわんば間に合わん」。

こういう訴えをされておられました。

 そして、さらにこの方は、乳飲み子を抱えておられたんですね。だから、背中を真っ赤にやけどをしたものですから、その夜から母乳が出なくなったんですね。生まれたばかりの赤ちゃんは、 その祖母の方が重湯で育てて、だからそれきり母乳は出なくなってしまった。こういう状況をお聞きするにつけ、本当に被爆地域拡大是正の問題での、あの原爆の放射線と影響はないという話が出されたときには、本当に私は、現実をもっと直視してほしいという気持ちに駆られたところです。

この問題については、議会も挙げて、(長崎)市長を先頭に、これから12月の年内にどこまでこの問題についての前進が出てくるのかわかりませんけれども、我々は、いよいよ最後の取り組みを強化してくる段階になってきたということで、より一層住民の皆さん方のこうした声が直接、厚生労働省の皆さん方に聞いていただくような、そういう状況 もぜひ考えていくことも、ひとつ今後は検討して いかなければならないのではないだろうか。こういう問題についても、ぜひご検討をいただきたいというふうに思います。
(以下省略)






被爆未指定地域問題は、現在も状況や国の姿勢は変わってはおらず、「被爆体験者」は救済されないままです。