2015年8月6日木曜日

クローズアップ2015:被爆70年 原爆症認定なお狭き門



クローズアップ2015:被爆70年 原爆症認定なお狭き門


毎日新聞 2015年08月06日


広島、長崎への原爆投下から70年を迎え、平均年齢が80歳を超えた被爆者の「救済」は時間との闘いになっている。原爆症認定のハードルはいまだ高く、「証人が見つからない」などの理由で被爆者健康手帳を取れない人たちが今もいる。援護策の充実を政府や国会に働きかけてきた被爆者団体は、運動の先細りに危機感を抱いており、「生きているうちに解決を」と訴えている。

◇司法と行政、隔たり

「国は被爆者が死ぬのを待っているかのようだ」。広島で原爆症の認定を求める集団訴訟の原告団長、内藤淑子さん(70)=広島市安佐南区=が嘆く。生後11カ月の時、爆心地から約2・4キロにいた母の背中で被爆した。白内障を患い、2008年に原爆症の認定を申請。今年5月の広島地裁判決は原爆症と認めたが、国は「放射線起因性はない」などとして控訴した。判決が確定するまでは原爆症とは認められない。
被爆者援護法では、被爆した場所などの条件を満たせば被爆者健康手帳が交付される。さらに原爆症と認定されると、月額13万円余りの医療特別手当が支給される。今年3月末現在、手帳所持者18万3519人のうち、原爆症の認定を受けているのは8749人(4・8%)。認定には発症した病気について「放射線起因性」、現に治療が必要な状態である「要医療性」という二つの厳格な要件がある。これまで段階的に認定基準が緩和されてきたが、なお「狭き門」で、現在も全国で訴訟が続いている。
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の呼び掛けで、未認定被爆者が各地で集団訴訟を起こしたのは03年。遠距離の被ばく線量や内部被ばくを過小評価しがちとする司法判断が相次ぎ、国は敗訴を重ねた。安倍晋三首相は第1次政権時代の07年に認定基準見直しを表明、08年から改められた。09年には麻生太郎首相(当時)と日本被団協が話し合いで問題の解決を約束し、集団訴訟の終結を確認した。それでも提訴の動きはやまなかった。
厚生労働省は民主党政権時代の10年、有識者検討会を設置。日本被団協は、病気の種類や治療の内容に応じて段階的に手当を加算する案を提示した。しかし、13年12月の検討会の報告書は「現在でも科学的知見を超えて認めている」として採用しなかった。
これを受け、厚労省は新基準を発表。心筋梗塞(こうそく)などで積極的に認定する爆心地からの距離を広げたが、見直しは小幅にとどまった。14年以降も4地裁の訴訟の原告28人中18人が原爆症と判断され、行政と司法の隔たりは埋まっていない。
与党の国会議員の一人は「改正したばかりの基準を直ちに否定もできない」と話し、当面は新基準による審査が続く見通しだ。原爆症認定集団訴訟を支援してきた田村和之・広島大名誉教授(行政法)は「原告側が科学的に証明できなくても、個別の事情に応じて認めるべきだ」と指摘する。
一方、「被爆者」と公的に認められない人たちもいる。被爆者健康手帳の交付には、原則2人以上の第三者による証明などが必要だが、歳月の経過で新規の申請は困難を増している。
佐賀県は昨年11月、原爆投下時に長崎市内に勤めていた男性に手帳を交付した。証人はいなかったが、原爆投下時の状況が先に手帳を取得した被爆者の証言と一致し、申請を認めた。
ただ、弾力的な運用は一部に限られる。毎日新聞が昨年実施したアンケートによると、13年度までの10年間に、手帳の交付申請が全国で少なくとも8766件あったが、半数近い4294件が却下されていた。その多くで証人の不在が壁になっていたとみられる。
広島県原爆被害者団体協議会(佐久間邦彦理事長)の被爆者相談所では、手帳取得に関する相談が後を絶たない。相談員を務める波田保子さん(79)は「行政による審査は厳しいが、被爆した事実を否定する材料がない限りは申請を認めてほしい」と訴える。【木村健二、加藤小夜、吉村周平】

◇被爆者団体、高齢化で岐路

被爆者団体は当事者として政府や国会に対し、援護の充実を求めてきたが、高齢化で活動継続の岐路に立っている。
「私は90歳。いつ死んでもおかしくない」。和歌山市で6月14日にあった県原爆被災者の会の総会で、楠本熊一会長が辞任を切り出した。5年前に胃がんを、今年は大腸がんを発症した。後任は見つからず、解散が決まった。1964年の発足当時、約600人だった会員は113人にまで減っていた。
被爆者の全国組織である日本被団協は56年に結成。活動の大きな財源である機関紙の購読者は、過去5年間で2割減少した。都道府県組織の解散は奈良(2006年)、滋賀(08年)に次いで和歌山が3例目となった。
被爆者健康手帳所持者の平均年齢が85・5歳と全国一高い秋田県。同県原爆被害者団体協議会は会員数27人で、64年から事務局を務める佐藤力美さん(77)は「被爆者の父の思いを受け継ぎ、1人になるまで頑張る」。愛知県原水爆被災者の会は平均年齢が77・67歳で全国一低いが、過去5年ほどは1年間で約100人の会員が亡くなっている。
日本被団協は今年6月の総会決議で「若手被爆者と2世の活躍なしには被爆者運動が維持できない」と確認した。総会では「被爆者でない人や2世でも、相談事業が担えるように養成してほしい」との声が上がったという。
九州では被爆者運動を受け継ごうと、各県の2世の会が合同で勉強会を重ねている。1月末に福岡市内であった会合には約30人が出席。体験のない自分たちが何を目的に活動するかを巡って意見を交わした。
福岡県被団協の事務局長で被爆2世の南嘉久さん(68)は「一番近くで被爆者の悲しみや苦しみを見てきたからこそ、自分たちが代わって発信する力を身につけていきたい」と話す。
【高橋咲子、阿部弘賢】