2015年7月9日木曜日

長崎で被爆地域拡大のための研究会が骨抜きに



東京新聞【こちら特捜部】2015年6月29日


七十年前、原爆が投下された長崎市では、被爆者健康手帳を求める運動がいまも続く。市も有識者による「原子爆弾放射線影響研究会」を設けたが、これが現在、批判にさらされている。作為的な委員人事や水面下の意見調整などが疑われているのだ。原発事故の健康影響をめぐり、非公開の場で意見をすり合わせた福島県の「秘密会」を連想させる。蓄積されてきた被爆者の不信感は強まるばかりだ。
(榊原崇人)




作為的人選・水面下意見調整の疑い


「わらにもすがる思いで期待を掛けた研究会だったのに・・・」

全国被爆体験者協議会で事務局長を務める岩永千代子さん(七九)はそう憤る。

長崎では爆心地から南北は約十二キロ、東西は六~七キロまでが被爆地域とされ、原爆投下時にこの地域にいた人たちに対し、医療費が公費負担となる被爆者健康手帳が交付されている。

この地域の外にいた岩永さんらは「被爆体験者」と位置づけられている。手帳が交付されないため、被爆地域拡大を求める運動に長く取り組んできた。二00七年からは国や長崎県、市を相手取った裁判に臨み、一審では敗訴となったが、現在は福岡高裁で争う。

二年前、状況が変わる兆しが見えた。

田上久市長は一三年六月の市議会定例会で「被爆地域拡大につながる情報収集は被爆地長崎の責任。専門家の意見を聞く場の設置を検討する」と答弁。二カ月後の会見で「原子爆弾放射線影響研究会」を年内に始動すると言明した。

ところが初会合後の一四年一月、不信を募らせる報道が流れた。

市は当初、公平な議論を期すためか、岩永さんらが原告、市などが被告になる裁判の関係者は委員の対象外とする方針を決め、その旨を内部文書に記した。

しかし、実際に選ばれた委員には、被告(行政)側の意見書に名を連ねている神谷研二・広島大副学長が選ばれた一方、岩永さんらが委員にするよう求めた原告側意見書の作成者である県保険医協会長、本田孝也氏は外された。

市側は「高い専門性などを優先し『双方対象外』の方針は変えた」と釈明する。ただ、研究会の目的も被爆地減拡大ではなく「被爆者援護行政全般に関する意見収集」となっており、「役割が暖昧になってしまった」(岩永さん)。

今年四月には、新たな疑惑が報じられた。

前月の第四回会合では、放射線物理学を専門にする広島大の静間清特任教綬が参考人として呼ばれた。
静間氏は事前に市へ配布資料をメールで送ったが、現在の被爆地域を適当でないと記した部分や「拡大是正要望地域は十六キロまでとすることが適当」と書いた部分は、会合の資料からは削除されてしまった。

市の担当者はメールを受け取った後に静間氏へ電話連絡したとし、「事実と見解が混在して分かりにくいため、変更することになった。静間先生から了解も得た。資料からなくなった部分も、先生は口頭で発表した。何か隠そうとしたわけではない」と語る。

静間氏も「問題提起したかったのは、被爆地域の内側と外側で放射線震が変わらないところがあるということ。その部分は削除されていない。特に異存はなかった」と述べた。


まるで福島の「秘密会」

国も圧力か

原発事故を意識、補償につながる議論封殺


しかし、この一件は被爆者らの研究会に対する不信感を増幅させた。

岩永さんらの運動を支援する全国被爆二世団体連絡協議会の元会長、平野伸人さん(六八)は「研究会は、戦後七十年を何事もなく越すためのガス抜きに成り下がった」と嘆き、「過去の経緯から考えると、国の圧力が強くはたらいたと思わざるを得ない」と疑う。

たしかに、国の被爆者援護は積極的だったとは言い難い。一九五二年に軍人らの補償制度ができたが、原爆被害者は放置された。第五福竜丸事件を機に、五七年に被爆者援護の法制化が実現したが、既に敗戦から十二年がたっていた。

高度経済成長が頭打ちになっていた八O年、厚生相(当時)の諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇〉」はこんな答申を出している。

「戦争という非常事態のもとで国民が何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、国をあげての戦争による『一般の犠牲』として、すべての国民がひとしく受忍しなければならない」

先の平野さんは「かつてのような財政的な余裕がなくなった国は戦後補償の拡大を食い止める必要があったため、『戦争受忍論』を強調してきた」とみる。

基本懇は答申で「原爆放射線による健康障害は一般の戦争損害とは一線を画すべき『特別の犠牲』。被害の実態に即応した対策を講ずべきだ」とも記す一方、「いたずらに被爆地域は拡大せず、科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべきだ」と求めた。

「被爆地域内外の運動が結びつき、補償拡大の大きなうねりができるのを国は恐れた。そこで、既に被爆地域に指定されていたエリアは手厚く支援する一方、その他は切り捨てることで、運動の分断を図ろうとした」(平野さん)
被爆地域拡大の運動は続いたが、国が十分に応えたとはとても言えない。

O二年、被爆地域外ながら原爆投下時に爆心地の十二キロ圏にいた人たちを支援する事業を始めたが、医療費の公的負担があるのは精神疾患のみ。「心身の不調はストレス」という判断を示し、この問題の幕引きが図られたという。

実際、この事業が始まってから市の動きは鈍くなった。市と市議会でつくる「長崎原子爆弾被爆者援護強化対策協議会」はO二年から昨年まで、国への被爆地域拡大の要請を控えた。

国が市に圧力をかけることを疑う理由もある。岩永さんらの訴訟で原告側の代理人を務める龍田紘一朗弁護士は「被爆地域拡大の問題は、長崎だけの問題に収まらない」と指摘する。

「被爆地域拡大を考える上で焦点になるのは、原爆が爆発した瞬間の放射線被害ではなく、広く飛散した放射性降下物の影響。これは福島原発事故で懸念される放射線の健康影響と同じ構図だ。福島で膨大な補償を支払うことにならないよう、都合の悪い議論を抑え込みたいのだろう」

被爆に関する知見を積み重ねてきた長崎大も、微妙な存在になっている。

長崎大名誉教授で日赤長崎原爆病院名嘗院長の朝長万左男氏は、一審段階で被告(行政)側の意見.に名を連ねた。現在も続く二審では外れているが、原子爆弾放射線影響研究会では会長を務めている。

研究会委員には、長崎大の高村昇教授(放射線影響学)も入る。福島県の県民健康調査検討委員会の委員も務め、この会議が「秘密会」騒動で揺れた当時にトップを務めていた長崎大の山下俊一副学長に師事してきた人物だ。

岩永さんは「私たち原告はみな高齢。でも黙ってはいられない。放射線を浴びてしまったのに、何もなかったことにされるのは許せないから」と訴えている。

===デスクメモ===
福島原発事故以降、あれこれ崩懐の兆しに気づく。自民党の報道圧力事件では「発言者の言論の自由」を説く者がいた。記すのも恥ずかしい。言論を抑圧する「言論の自由」などない。言葉が生業の作家や議員なら万死に値しよう。だが、党総裁は無傷、当事者も辞職しないようだ。人の理性も崩れつつある。(牧)