2016年8月22日月曜日

調査及び立法考査局を今後も追及します




平成25年に、国立国会図書館・調査及び立法考査局は、原爆症認定基準についての項目で
「線量基準(初期放射線1ミリシーベルト)」と虚偽記載した立法調査資料を作成し、
調査依頼した川田龍平議員や谷岡郁子元議員らに提出していました。
子ども・被災者支援法「一定の放射線量」を「年間1ミリシーベルト」とする根拠の為に、立法考査局が作成した虚偽記載の立法資料を使い、議員が政府申し入れをしたことになります。

平成24年2月頃から、谷岡郁子元議員が
「原爆被爆者は1ミリシーベルトで被爆者援護法の支援を受けている」
という事実無根の話を多くの人に長期間伝え続け、それにより被爆者への誤解が広がったこと、そこに国会調査機関である調査及び立法考査局まで加担していたことには呆れるばかりです。
私から資料の訂正をすぐさま求めたところ「守秘義務で答えられない」という返事しか返らず、訂正に向けた対応をする姿勢は全く見えません。
このまま調査及び立法考査局の無責任な対応が続くのであれば、国立国会図書館法違反として私も追求していきます。
以下は、私から調査及び立法考査局に対して訂正と公開の対応を求めた抗議内容です。
(回答が得られず全く話になりません)
けじめとして今後は私から関係議員へ連絡して対応措置を取るつもりです
(2017年8月、上文、追記)


立法考査局調査資料の記述に関する誤り、および誤認識について
国立国会図書館調査および立法考査局調査企画課様


過去の調査結果として記された国立国会図書館作成資料にある、事実と異なる記述箇所および認識について、ご連絡します。

平成25年10月3日付、「主な国際的線量基準と日本国内の線量基準」の項目24、「厚生労働省」「原爆症認定」に関しての資料の中で、「基準となる線量」として「初期放射線量、約 1mSv」との記述が括弧書きで記されてあります。

また「年換算(比較用)」の欄にも括弧書きで(初期放射線量)とあり、同様に「1mSv」という値が記載されています。

おそらく、これらが括弧書きとなっている意味として、「直接的な線量基準は存在しない」という箇所にかけて、(直接被爆者の)「間接的」な線量基準を示唆するという意味で、このような曖昧さになったのかもしれません。

しかし、原爆症認定制度、あるいは被爆者健康手帳制度のどちらも「線量基準」は存在しません。そのため「1mSv」という具体的な線量が挙げられ、原爆症認定制度の「基準」として付記されているのは法的な根拠に基づいておらず、たとえ括弧付きであっても誤りです。

原爆症認定制度の基準は、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」、第10条1項の条文にもとづき、申請者が満たすべき放射線起因性と要医療性の2要件について、その有無を判断するために厚生労働省が定めている行政基準です。

2013年12月には認定基準が一部改定されていますが、この調査資料が作成された平成25年10月当時、あるいは現在においても、初期放射線(1mSv)をもって申請者の疾病についての放射線起因性要件(被爆者援護法、第10条)が満たされ、原爆症認定が行われたという事実はありません。

この資料は、直接被爆者について、「3.5km という距離範囲を満たすことをもって積極認定とする」という現行の外形基準の意味を正確に捉えきれておらず、「初期放射線(1mSv)で疾病の放射線起因性があると判断される」線量基準であるかのように同列に扱って書かれてあり、異なる基準概念の混同や認定事実についての誤認識が見受けられます。

直接被爆者の、3.5km地点に説明されている(初期放射線、1mSv)とは、「初期放射線、1mSv の被ばくを満たせば申請者の放射線起因性があると判断される」という趣旨ではなく、「政策的判断としての距離限界を示す意味で目安として(後から)説明されたもの」、と、認定行政を行っている厚生労働省みずからが説明しており、「3.5km地点の初期放射線量は1mSvである」という厚労省側の、いち「見解」に過ぎません。

したがって、認定申請者における初期放射線(1mSv)の有無自体は実際の認定実務における起因性判断とは一切関係はなく、いかなる線量であっても「基準」として付記することは法的見地から明確な誤りとなります。

この記載を根拠にして、パブリックコメント等を提出する一般の方々や、原爆症の認定が1mSvで行われていると誤解する国会議員の例を過去に見かけるなどしており、被爆者援護行政についての誤認識が社会に広がることは遺憾です。

以上の指摘について、担当者様の御回答を頂戴したく思っております。

適切な対応と是正を、どうぞ、よろしくお願いいたします。


(差出人) 岡 紀夫





岡 紀夫 様

このたびはご意見をお寄せいただき、ありがとうございました。
担当者にて検討いたしますので、少々お時間をいただけますでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。

国立国会図書館調査及び立法考査局調査企画課



岡 紀夫 様

7月14日付けでご質問いただきました事項につきましては、国立国会
書館法第15条に規定する国会に対する職務に係る事項であるため、大変申し訳
りませんが、守秘義務の観点から、お答えすることができません。
何卒ご理解くださいますようお願い申し上げます。

国立国会図書館調査及び立法考査局調査企画課





立法考査局調査資料の記述に関する誤り、および誤認識について(2)
調査及び立法考査局様

過去の調査に誤りがあると指摘したうえで、調査担当者様の御説明と現在の認識、そして今後の対応をお聞かせ願いたいという趣旨を申し上げました

おっしゃるような守秘義務に抵触する質問は差し上げておりませんが、私の指摘への質問、ご意見がもしあれば納得いただけるまで丁寧に伺いたいと思っております。指摘についての異議はないと受け取っていますが、よろしいですか。

訂正を公表し、関係各議員と一般公衆に告知する責任がありますが、いかがお考えでしょうか。

岡 紀夫







岡 紀夫 様

再度のご質問を頂き、ありがとうございました。
大変申し訳ありませんが、国立国会図書館法第15条に基づき国会関
係者からの依頼に応じて行う調査に係るご質問につきましては、守秘義
務の観点からお答えすることができません。
何卒ご理解くださいますようお願い申し上げます。

国立国会図書館調査及び立法考査局





立法考査局調査資料の記述に関する誤り、および誤認識について(3)
調査及び立法考査局様

調査に誤りはないとお考えかどうかについて伺っています。
ないとの認識ならば「ない」とお答えいただければよいのではないですか。
全てを国会に関する守秘義務の範疇として回答可能な質問まで拒否を乱用されるのはいかがなものかと思います。
調査を行い提出した公的機関の責任として、その認識の有無を問われて公衆に示したところで支障もないはずですが、いかがでしょう。
自信を持って誤りはないと明言ができない資料を公開されているということでしょうか。
お答えをよろしくお願いいたします。

岡 紀夫



岡 紀夫 様

大変恐縮ですが、国会関係者からの依頼に応じて行う調査に係るご質問
につきましては、守秘義務の観点からお答えすることができません。
何卒ご理解くださいますようお願い申し上げます。

国立国会図書館調査及び立法考査局





調査の訂正を要求いたします
調査及び立法考査局様

「誤りはない」という明瞭な回答を得られませんので、調査結果が誤りとの認識はお持ちであると理解いたしました。
「訂正」の対応を、あらためてお願い申し上げます。

問題をご理解頂けます様、こちらの資料も、あわせてご参照ください。

調査対象となった原爆症認定基準「新しい審査の方針」運用による認定・却下状況(平成25年、調査当時)の端的な概要です。

< 線量基準(初期放射線、1mSv )> と定義して公表された調査資料を何故私が問題視しているか、その理由を容易にご想像頂けると思います。

http://ninteisiryo.blogspot.jp/2016/08/blog-post.html



誠に僭越ながら、初回差し上げた文中の「適切な対応と是正」について、その詳細を申し上げる意味で具体的な例として以下を列挙いたします。



[1] 平成25年10月3日付で作成、提出された資料、「主な国際的線量基準と日本国内の線量基準」の項目24に誤りがあったことを調査及び立法考査局が責任をもって公に告知し、訂正箇所の事実説明を行う。(以下は例)

「調査当時から現在まで施行されている原爆症認定制度の基準「新しい審査の方針」(平成20年4月、運用開始)に、(直接的、あるいは間接的その他を含め)線量基準は存在しません。

したがって、いかなる数値も原爆症認定制度の「線量基準」として表記したことは不適当であり、該当の調査で記した「線量基準」「年換算(比較用)」項目での(初期放射線、1mSv)との記載および調査認識は誤りでした。」


「※ 原爆症認定制度における法律要件で求められる「放射線起因性」(原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律、第10条、11条にもとづく)を申請者が充たすかどうかについて、厚生労働省が被ばく線量「初期放射線、1mSv」の有無を基準として判断を行うという認定審査の事実はありません。」


上記例と同様の旨を訂正告知文として一般公開する。



[2] 調査を依頼した川田龍平議員その他、この資料にもとづいて審議を行った議員全て(【例】「子ども・被災者支援議員連盟」所属議員)に対し、調査及び立法考査局が責任をもって、文書送付等での訂正連絡をただちに行う。


上記 [1] [2] は、規範にてらして考え得る組織対応の常識的な一例として、ご提案申し上げます。凡庸ですが参考一助として前向きに御検討頂ければ幸いです。

万が一、こうした手順を踏まえた修正対応が何ら行われない場合、厳正さが求められる調査機関の不作為であり、調査ミスそのもの以上に公益を損ねる瑕疵と考えざるをえません。

被爆者の方々の実情と長年のご苦労は原爆の体験がない人からは正しい知識が及びにくく誤解を招きやすい側面があります。一般国民には馴染みがない被爆者援護制度の理解も同様です。

その点において貴組織が担う社会的責務はとりわけ重要で、あらゆる状況において万難を排し事実を提示する姿勢を貫いていただかなければ、当然混乱を生じて社会に偏見をもたらし、援護施策を受ける権利を有する認定者へ不必要な心理的負担をも与えかねません。

立法資料の誤った認識が議員および一般へ事実誤認としてそのまま伝わっていること、審議で議員に使用されたこと等の過失を指摘されながら放置されるおつもりであれば看過しがたいものです。

すみやかな御判断での公正な対応が最も優先されるべき在り方と思っております。
国立国会図書館法前文に相応しい実践を心より期待申し上げます。


岡 紀夫




岡 紀夫 様

繰り返しのお答えとなり恐縮ですが、国会関係者からの依頼に応じて行う調
査に係るご質問につきましては、守秘義務の観点からお答えすることができま
せん。
何卒ご理解くださいますようお願い申し上げます。

国立国会図書館調査及び立法考査局調査企画課






調査の訂正を要求いたします(2)
調査および立法考査局様

お答えが要領を得ませんので趣旨を正確にご理解いただきたいのですが、前回に私が差し上げたのは仰るような「質問」などではなく訂正の要求です。

初回の「検討します」との柔軟な回答後、急に態度が一変し、あれもこれも頑なに「守秘義務」の終始一点張りで、これではきちんとしたお話になりません。

こうした調査ミスを外部から指摘された場合に(それは当然起こり得ることだろうと思いますが)、本来なら立法補佐機関の務めとして現実の課題にすぐさま向き合い毅然と対処すべきところのはずですが、逆に硬直化して回答の拒絶のみを私に繰り返されている様子には強い違和感を拭えません。

私から申し上げるのは釈迦に説法ですが、国立国会図書館法15条2項では、「資料の選択又は提出」にあたり、「党派的、官僚的偏見に捉われることなく、両議院、委員会及び議員に役立ち得る資料を提供すること」と規定され、取捨選択に際してのみならず資料が客観的事実に即するものでなければならないことが指示されています。

すでに誤りの認識がありながら故意の放置により上記に違反するのは、同館法2条の、「国会議員の職務の遂行に資する」ことにならず、法前文において「真理がわれらを自由にする」の箇所で示される真理性、すなわち事実に忠実な知識の提供をせねばならないとする使命にも反することは自明です。

私がそれを申し上げねばならないのでは全くあべこべの話ではないですか。

私個人に対してどう対応されたところで厳然として存在する事実は変わらない以上、遅かれ早かれ関係議員にも明らかになるだけのことですが、そうした無自覚な対応の仕方で現状を伏せて逃げてしまえばよいなどと本心でお考えなのですか。

資料記載のような事実はないとの指摘を受けながら、守秘義務を「一切の口実」とすることで結局何ひとつ真摯な説明や具体策に応じていただけませんでしたので、過去この資料にかかわった国会議員の方々に対してましても、大変不本意な形ながら私から個別に、あるいは各政党本部を通じて連絡をとるかたちにより受け止めていただき、経緯を公開して問題を是正していく措置も今後やむを得ません。

私から各議員に直接連絡をする際に伝える必要がありますので、この件での責任者のお名前を教えていただけますでしょうか。


岡 紀夫





2016年8月11日木曜日

原爆小頭症患者として生まれた(故)岡田圭一さん家族の証言(1966)



(父)岡田一市さん(1963年、没)
 (子)岡田圭一さん(1998年5月、没)
 (母)岡田タメさん(1998年7月、没)


関連リンク
(生きる・岡田さん親子)1945・8・6

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh1107/exh110702.html


2016年8月4日木曜日

爆心地は語る 被爆71年の長崎(3)不条理な線引き 訴え


上空でさく裂した原爆が熱源となり、発生したきのこ雲は高度1万4千メートルに達した。1945年8月9日、原爆が投下されて約15分後、放射性物質を巻き込みながら成長した巨大な雲が写真に捉えられていた。長崎市松山町の爆心地から南西9・4キロの旧長崎県香焼村(現同市香焼町)の造船所。写真技師だった松田弘道氏が撮影した。

近くの山で仲間3人と航空燃料用の松やにを採取していた中島巌さん(83)は閃光(せんこう)と爆音に驚き、地面に伏せた。巨大なきのこ雲が長崎市内を覆っていた。
爆心地は、医療費や薬代が全額国費で賄われる被爆者健康手帳を取得できる被爆地域の境界を線引きする基点だ。被爆地域は70年代に2度、地区ごとに拡大されたため、爆心地から南北約12キロ、東西は約7キロといびつな形だ。旧香焼村は含まれておらず、国は中島さんのように半径12キロ圏内で原爆に遭った人を「被爆体験者」と定義している。
「爆心地からは平野と海だけで遮るものはない。もっと遠い地域も入っているのに」。中島さんは2007年、被爆体験者訴訟第1陣の原告団に加わった。
20代で心臓に異常がみられ、07年に狭心症などを患った。「老い先は短い。被爆者と認めてほしい」と中島さん。訴えは長崎地裁、福岡高裁で退けられた。
爆心地の東8・5キロの旧矢上村(現同市かき道)で原爆に遭った大町リキ子さん(83)は同訴訟第2陣の原告の1人。爆風で飛んできた木片が腕に刺さった。原子雲から降った灰が庭に10センチほど積もり、食べ物や井戸水に混じった。髪もごっそりと抜けた。20代からさまざまな症状が現れ、49歳で慢性肝炎に。今も下血や不整脈が続く。
国は76年の被爆地域拡大の際に旧矢上村を東西に分断し、西側だけを指定した。東側にいた大町さんは被爆者として認められていない。「同じ村だったのに、違う理由が分からない」。国の線引きが不条理だと訴える。今年2月、地裁は大町さんへの手帳交付を認めたが、長崎県と長崎市が控訴し、高裁で係争中だ。
71年たっても闘う体験者に対して、「今頃になって」と冷ややかな声が浴びせられることもある。被爆者団体を中心に被爆地域拡大運動が盛んだった時代に参加しなかったからだ。だが、かつては「放射線の影響は伝染する」との誤解があり、結婚や就職で子や孫が差別されないかとの不安から、被爆の事実を隠した人が少なくない。「あなたたちがお嫁に行けなくなると困る」。大町さんの母は長崎市内で被爆したが生涯、手帳を取得しなかった。
やっと被害を明かせるようになった体験者。これまでに556人が提訴し、うち67人は亡くなっている。
2016/08/04 西日本新聞

2016年8月3日水曜日

同じ所で被爆…姉弟で割れた司法判断(被爆体験者)



■谷山さん姉弟
「同じ場所にいた姉は被爆者と認められたのに」。矢上村(現在の長崎市田中町)で原爆に遭った谷山勇(たにやまいさむ)さん(74)=長崎市東町=は5月下旬、福岡高裁の前で声を落とした。原爆投下時は3歳。姉の下川静子(しもかわしずこ)さん(82)と自宅前の路上で、2人で遊んでいた。
2人がいた矢上村は爆心地の東5~8・6キロに位置。村の東側にいた人たちは国が定める被爆地域の外にいたため被爆者とは認められない「被爆体験者」と呼ばれ、県や長崎市に被爆者と認めるよう求める裁判を起こしている。勇さんと2人の姉は原告の一員で、勇さんは第1陣訴訟に、静子さんと今井(いまい)ツタエさん(84)の2人は第2陣に参加している。
今年2月の第2陣の裁判で、長崎地裁は2人の姉が被爆者に当たると判断したが、5月の第1陣の裁判で福岡高裁は静子さんと同じ場所にいた勇さんを被爆者と認めなかった。
戦後70年が過ぎた今も明確な基準はなく、司法の判断が分かれている被爆体験者の問題と、それに戸惑う姉弟の半生をたどった。
谷山さんは8人きょうだいの末っ子として生まれた。1945年当時は3歳で、母ときょうだいの6人暮らし。父は出征中で長男は谷山さんが生まれる前に旧満州で戦死。長姉は双子だったが、1人は養子に出された。左官だった3番目の兄はすでに家を出ており、家にいたきょうだいは次兄と3人の姉、谷山さんの5人だった。
そのうち次兄は三菱兵器大橋工場に、長姉は旧長崎市内の貯金局にそれぞれ働きに出ていた。それらの収入と、母がしていた農業で、生計を立てていたという。
谷山さんの当時の記憶はおぼろげだが、帽子をかぶった警防団員が、メガホンのような拡声機で「空襲警報発令」と家の近くに知らせにきていた。幼心に覚えている戦争の光景だった。長崎原爆戦災誌によると、長崎市では原爆投下までに5回にわたって空襲を受け、344人が死亡。空襲警報と警戒警報は45年だけで220回あまり発令されていた。
45年8月当時、3歳だった谷山さんには、よく世話をしてもらった2人の姉がいた。次女で10歳年上のツタエさんと、三女で8歳年上の静子さんだ。
2人は矢上国民学校(現在の矢上小学校)に通っていた。当時13歳だったツタエさんは教室で授業を受けているときに、隣の職員室から戦況を知らせるラジオの音が、しばしば聞こえてきたのが印象的だ。授業は空襲警報が出てよく中断し、「内容はほとんど覚えていないほど」だった。
矢上国民学校では5年生以上の生徒は、夏休みを返上し、勤労に従事させられていた。河原の開墾作業にかり出され、繊維にするため、木の樹皮をむいて、干したこともあった。
そんな生活の中でツタエさんと静子さんは国民学校を交代で休み、まだ幼かった弟の世話をしていた。母は畑へ、三菱兵器大橋工場と貯金局に勤めていた次兄と長姉は長崎市内へ、それぞれ働きに出ていたためだった。
谷山さんは3歳で、8歳年上の姉、静子さんと一緒にいるとき原爆に遭った。静子さんは当時、13歳だった姉ツタエさんと交代で学校を休み、弟の勇さんの世話をしていた。45年8月9日。弟の面倒を見る当番だった静子さんは、普段は泣かない弟が畑へ出かける母親にすがって大泣きしたことを覚えている。「おかしかね。なんかあっとやろうか」と思った。静子さんは「その後のことを感じていたのかも」と振り返る。
「昼食用にカボチャをとってくる」と母が出かけ、現在は長崎市田中町の自宅前の道路で弟と遊んでいるときだった。ピカッと、閃光(せんこう)が正面から来た。とっさに弟の背中に覆いかぶさったが、押し寄せた爆風に2人とも吹き倒された。手とひざに擦り傷ができた。
2人が原爆に遭ったという場所を訪ねた。住宅地から爆心地がある西の方角を見ても、小高い山に視界を遮られる。上空で爆発した原爆の爆風はここまでどのように来たのだろうと、しばらく想像をめぐらせた。
谷山家の次女、ツタエさんは矢上普賢山で原爆に遭った。国民学校高等科(現在の中学校)に通っていたが、夏休みを返上し開墾作業などの勤労にかり出されていた。8月9日は航空機の燃料にするための松ヤニをとりに、同級生と矢上普賢山に登った。
午前11時2分。ピカッと光ったあと「顔が熱くなった」。西の空は赤くなり、煙が立ちのぼった光景は忘れられない。爆風が来て吹き倒されたところまでは覚えているが、気がついたときには家に戻っていた。「どこをどうして帰ったのか分からないほど、無我夢中だったのでしょう」と振り返る。帰るとすぐさま母に飛びつき、泣いたという。手とひざには擦り傷ができていた。ツタエさんが家に帰り大泣きしていた様子は、三女の静子さんも覚えているという。
自宅は爆風で引き戸や障子が壊れ、食器棚は倒れ、ガラスが散乱していた。母と静子さん、末っ子の勇さんは、ツタエさんが戻ると4人で、隣家にあった防空壕(ごう)に避難した。
矢上普賢山で原爆の火を見て自宅に戻り、防空壕に一時避難したツタエさんは、夕方ごろから現在の県警機動隊(長崎市田中町)の近くにあった運転免許試験場の近くで、次兄と長姉の帰りを待っていた。
2人は三菱兵器大橋工場と貯金局に勤め、それぞれ長崎市内に出勤していた。現在の長崎市田中町を南北に通る国道34号は、長崎市内から矢上村を通り諫早市方面へ向かう、当時からの主要街道で、原爆でけがややけどを負って血を流した人たちが、ぞろぞろと歩いてくるのを、ツタエさんは見た。
矢上村の自宅前で弟と原爆に遭った三女の静子さんの記憶だと、原爆が落ちて2~3時間もすると、原爆の負傷者とみられる人たちが、村のあちこちの家に入ってきていた。自宅にいた静子さんは出会った人に、「おじちゃん、どこの人ね」と話しかけたが、放心したような様子で、会話にならなかったことを覚えている。
長崎市内に働きに出ていた谷山家の次兄と長姉は、その日のうちに矢上村の自宅に帰ってきた。三菱兵器大橋工場で働いていた次兄は原爆で崩れたがれきの下敷きになっていたが、壁との間にはすき間があり、助かったと聞いた。長姉は長崎市築町の貯金局で働いていたが、茂木を経由して夜に戻ってきた。
だが戻ってきた兄姉は体調がすぐれなかった。三女の静子さんは次兄の症状が特に重かったことが忘れられない。上半身は裸で、両肩を支えられるようにして帰ってきた兄の顔は、灰かススかで真っ黒になっていた。高熱でうなされ続け、吐血することも。
ただ母は働きに出ていたため、きょうだいで1カ月ほど看病を続けた。体をまめに拭いてやり、ぬらした布で頭を冷やしてあげた。
次兄の勤務先の工場では、次兄の服を着た遺体が見つかった。会社から自宅に遺骨を届けるとの連絡があり、会社関係者らしい弔問客が生きている次兄の姿を見て驚いていた。その光景が、静子さんの記憶に残っている。
矢上村で原爆に遭い、長崎市内から帰ってきた兄姉を看病した谷山勇さんと2人の姉、ツタエさんと静子さんは原爆直後に下痢の急性症状が出たほか、それぞれ体調不良に悩まされた。
勇さんは19歳で肛門(こうもん)に悪性の腫瘍(しゅよう)を患った。あるとき、高熱が出たため医者にかかると腫瘍の存在を指摘され、「これはとらないと死ぬよ」と言われた。「そのときの恐怖は忘れられない」と話す。1カ月ほど入院し、手術をした。
ツタエさんは山の上から見た原爆の火や、村を歩く負傷者の姿を夢に見るのが怖く、不眠症になった。近年は呼吸器の調子が悪く、呼吸が苦しい。12歳のときに原爆に遭った三女の静子さんは、中学生に上がったころから、肌が弱くなったと感じている。3人は現在も、日常的に通院している。
だがつい最近まで、3人はそれぞれの体調不良が原爆の影響のためだとは考えていなかった。
矢上村で暮らしていたときに原爆に遭った谷山さん一家は戦後、長崎市内に引っ越したが、ツタエさんと静子さんは10代後半で家を出て働き始め、3姉弟は別々に暮らすようになった。
そのころ、谷山家があった矢上村田中名の集落の住民が、集団で被爆者健康手帳を申し込むか、地域で議論になったことがあったらしい。姉弟の母キトさんは「被爆者になると、結婚できなくなるかもしれない」と子どもたちを気遣い反対。家族の中で被爆者について良い印象はなく、勇さんは「原爆について改めて話すこともなかった」と振り返る。
旧長崎市以外も被爆地域と認めるよう求める被爆地域拡大の運動が高まった76年、矢上村の西側の一部は被爆者と同じ援護を受けられる「健康診断特例区域」になったが、谷山家があった地域はそのままだった。
勇さんから最近になって母が反対していたことを聞いた静子さんは「私たちにも相談してくれたらよかったのに」と悔やんだ。
「おかしかね」。戦後長らく、原爆の影響を考えていなかった谷山さんだったが、2000年代に被爆体験者の支援事業が始まったころから、疑問を抱き始めた。被爆体験者向けの手帳をもらったが、被爆者健康手帳とは別物。地域で被爆者健康手帳を申し込むという話があったことを思い出し、「どうして違う手帳とやろうか」と思った。
そのころ、勇さんは被爆体験者について裁判を起こす人がいると聞いた。長崎市役所で連絡先を尋ね、被爆体験者訴訟の初代の原告団長で、13年に亡くなった小川博文さんの家を、2人の姉を誘って訪ねた。小川さんは原爆は上空約500メートル近くで爆発したことに触れ、「放射性物質は同心円に広がった」と語った。谷山さんは、「自分たちも放射線の影響を受けた被爆者だ」と思うようになった。
当時は体調不良は深刻ではなかったため、2人の姉は参加しなかったが、「あんた1人だけで入らんね」と促され、勇さんは被爆体験者訴訟の原告団に加わった。
ツタエさんと静子さんは、原爆投下時に3歳だった勇さんが訴訟の準備で当時の話を聞きたがったため、それまであまり振り返ることはなかった原爆の話をするようになった。
普段から連絡をとることが多かった静子さんは、自宅前で一緒に遊んでいるときに原爆に遭ったことや、兄姉の看病をしたことなどを弟と改めて振り返った。勇さんからは内部被曝(ひばく)などの、原爆や放射線に関する知識も教わり、「被爆者と何が違うとやろうか」と次第に疑問を抱くようになった。将来の体調不良への不安もあり、静子さんは裁判に参加することにした。ひざに人工関節を入れるなど体調がすぐれなかったツタエさんも「十分な治療を受けられるように」と訴訟に加わる決断をし、第2陣として11年6月に提訴した。
長崎地裁は今年2月、第2陣として提訴した2人の姉が被爆者に当たると判断した。一方、原爆投下時、姉と同じ場所にいて第1陣の訴訟に参加していた谷山さんは5月の福岡高裁での控訴審で敗訴。司法の判断は分かれた。でも、勇さんは諦めてはいない。「裁判がなければ弁護士の先生や仲間との出会いはなかった。姉と、当時を振り返って原爆について学ぶこともなかったかもしれない」と思うからだ。判決後の集会では落ち込む仲間に声をかけ、翌日の集会には姉弟3人で参加。3人そろって被爆健康手帳を手にするまで闘い抜くつもりだ。
同じ場所にいたのに――。谷山さん姉弟は、国が定めた被爆地域の範囲に翻弄(ほんろう)されてきた。判決はいずれも未確定で裁判は続く。爆心地からの距離や放射線量など被爆者の線引きの基準は様々だが、本当に必要な人に援護が行き届いてほしい、と改めて思った。
2016年8月2日 朝日新聞(真野啓太・25歳)

2016年7月6日水曜日

【声明】ノーモア・ヒバクシャ訴訟東京地裁(2次)判決について







本日,東京地方裁判所民事第38部(谷口豊裁判長・平山馨裁判官・馬場潤裁 判官)において,6名の原告(遺族原告1名を含む)全員について,国の却下処分を違法として取り消す全員勝訴の画期的判決が言い渡された。 

判決は,放射線起因性の判断について,援護法の趣旨に立脚し,「現時点において確実であるとされている科学的な経験則では証明できないという理由のみによって,放射線線起因性を直ちに否定することには慎重であるべきである」と判示した。 
また,積極認定の距離・時間には多少及ばない被爆者について原則的には積極認定対象者と同様に扱うことが要請されるとし,距離・時間に乖離がある被爆者についても,個別的な特殊事情の有無や当該疾病の発症機序等を踏まえ放射線起因性の有無を慎重に検討すべきであると判示した。

今回勝訴した原告6名のうち5名は,2013年 12 月 16 日に改定された新しい審査の方針(平成 25 年新方針)の積極認定に関する疾病,被爆距離ないし入市時間の基準に該当しない原告である。
そして,前立腺がんの要医療性が争点となった原告についても,定期的なフォローアップも必要な医療にあたるとして国の主張を斥けた。

厚労省は,全国の被爆者が原爆症認定集団訴訟に立ち上がる中で,2008 年「新しい審査の方針」を策定して積極認定の制度を導入し,国は 2009年 8 月 6 日に日本被団協代表との間で「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」を締結した。
この確認書には「訴訟の場で争う必要のないように,定期協議の場を通じて解決を図る」と明記されている。
それにもかかわらず,厚労省は, みずから策定した「新しい審査の方針」の運用を狭め,原爆症認定行政を後退させたため,被爆者はノーモア・ヒバクシャ訴訟を全国の裁判所に提訴せざるを得ない状況となった。 
今回の東京地裁判決は,昨年10月29日の東京地裁民事第2部における17 名全員勝訴の判決,本年4月11日の福岡高裁判決とともに,国の後退する原爆症認定行政を痛烈に批判し,かつ司法と行政の乖離がいまだ埋められていないこ とを明確に示す内容となっている。

原爆症認定集団訴訟以来の司法判断の流れに沿う今回の東京地裁判決に対して,国は控訴を断念し,重い病気で苦しんでいる原告らに対する早期救済をはかり,原爆被害に対する償いをはかるべきである。
 被爆71年に当たる今年5月,原爆投下国であるアメリカのオバマ大統領が広島を訪問し,「いつか証言する被爆者の声が聞けなくなる日が来るでしょう。しかし,1945年8月6日の朝の記憶は薄れさせてはなりません」と述べた。
原爆症認定問題の最終的な解決をはかるべき時は今をおいてない。
国は,これまでの認定行政を断罪した累次の司法判断を厳粛に受け止め,日本被団協の提言に沿って司法と行政の乖離を解消する,法改正による認定制度の抜本的な改善を行い, 一日も早く,高齢の被爆者を裁判から解放すべきである。
 私たちは,国が,18 万余の被爆者が生きているうちに,原爆被害に対する償いを果たすことこそが,核兵器をなくすという人類のとるべき道の歩みを進めることになると信ずる。

以 上

2016年4月30日土曜日

「福島に被ばく者手帳を作る会」発起人たちの素性(その2)





2016年4月28日、福島県郡山市のビックパレットで櫻井よしこ氏の講演会が行われた。

この講演チケット販売先は、ザ・ウィークリー編集部(企画室コア内)、
主催は「福島県倫理法人会」とある。

郡山市の広告代理店「企画室コア」は三田公美子氏が代表を務める。
三田氏は「福島に被ばく者手帳を作る会」(2016年4月、発足)を代表発起人として立ち上げた人物でもある。
三田氏が倫理法人会主催による「櫻井よしこ講演会」のチケット販売を行う事情とは何か。
今回は三田公美子氏の経歴にスポットを当て、三田氏が関係する別団体の事柄もあわせて検証する。


現在、三田公美子氏が同じく代表を務めている団体のひとつに「福島県女性経営者プラザ(FJP)」がある。
この団体は福島県内の女性経営者同士の交流を目的とし、平成7年に福島県中小企業団体中央会のバックアップを受けて任意団体として設立。2014年、設立20周年を機に一般社団法人となった。
最初に立ち上げた中心人物は、平成8年の正式発足時に(FJP)初代会長となった小口潔子氏(郡山市磐梯熱海温泉・四季彩一力・女将)である。
小口氏は現在、日本旅館協会理事、日本温泉協会副会長を務めており、安倍首相夫人の昭恵氏とも親交がある。平成26年には「国家又ハ公共ニ対シ勲績アル者」に授与される「旭日双光章」を受賞している。

<安倍首相を表敬訪問する小口潔子氏(安倍首相の右隣、藍白の着物)>
<小口潔子氏に関する報道記事>
 http://kirokusec.blogspot.jp/2016/04/2013.html 


平成14年、小口氏の会長退任により、三田公美子氏が副会長から(FJP)会長に就任。
平成20年で、当時副会長だった川崎葉子氏を後任として三田氏はいったん会長を退いている。
川崎葉子会長(FJP)新体制三年目のさなか(三田氏は会員として在籍)、2011年3月に東日本大震災が起きる。福島第一原子力発電所がある東電所有の敷地から3キロメートルの至近距離に在住していた川崎会長は、原発事故後、放射能汚染から逃れるため家族と共に福井県へと避難した。
川崎氏が不在となったため、三田氏が二度目の(FJP)会長に復帰する(平成23年)。以降も三田氏は代表として団体を運営し現在に至る。
(FJP)の活動は多様で、地元女性経営者たちが交流や啓発を通じ、異業種間はもとより他地域経営者や自治体との人脈をひろげ連携することで、地域経済の活性化や団体収益、新規事業の創出等を促す目的がある。

福島県女性経営者プラザ(FJP)と「福島県倫理法人会」は全く別組織だが、人事面では深い繋がりも持っている。
(FJP)前会長の川崎葉子氏は当時、福島県倫理法人会に所属。同会の「普及拡大委員長」をしており、平行して早双地区商工会女性部の幹部でもあった川崎氏は「福島県早双倫理法人会」の会長だった。
福井県に移った現在も全国の倫理法人会支部モーニングセミナーに講師として出向き、精力的に同会の普及活動を行っている。
(FJP)現副会長のK・S氏と(FJP)総務副委員長のS・T氏は、両者とも福島県倫理法人会の委員長で、それぞれ「郡山市倫理法人会」「郡山中央倫理法人会」の会長。

このように福島県女性経営者プラザには、互いを「倫友」と呼び合う熱心な倫理法人会員が複数名在籍しており、倫理法人会と(FJP)両方の幹部を兼任している。
(FJP)会員のN・C氏は、郡山中央倫理法人会の経営者モーニングセミナーで講師として講演。また、(FJP)ではないが三田氏の広告会社「企画室コア」の編集部社員も、社員自身が倫理法人会員でセミナー講聴に恒例参加している日常を社のブログに記している。

三田公美子氏自身も倫理法人会のモーニングセミナー講師として郡山市や須賀川市などで、しばしば講演を行っている。
他にも、08年に(FJP)が主催した三田氏の著書出版記念講演会では、入場チケットのうち50枚を郡山中央倫理法人会が引き受けて販売したりと同会とは懇意な間柄だ。

一方、櫻井よしこ氏といえば倫理法人会モーニングセミナー講師としても常連で、関東圏を中心に各地の倫理法人会支部で講演している。

浦安市倫理法人会・櫻井よしこモーニングセミナー
2013年「変わるのは今しかない!」
http://blog.rinri-chibab.org/?eid=1247097
2014年
http://blog.d-power.jp/?eid=1098564


過去、平成16年1月に行われた(FJP)の主催でも、三田代表らは櫻井よしこ氏を招き、「変わるのは今しかない」と題した大型公開講演会を企画。倫理法人会が普段から常連で使用する郡山市の某ホテルで開催している。講演には福島県知事(当時)の佐藤栄佐久氏も駆けつけた。

三田氏と櫻井氏の接点には、こうした「倫理法人会」の影がある。

この倫理法人会については、よく御存知の方もいるだろう。倫理法人会は「倫理研究所」の法人会員向け組織である。
倫理研究所は、創設者の丸山敏雄が当初所属していた扶桑教「ひとのみち」教団(現在のPL教団)から派生・分裂して創立した。
近年になり一般社団法人化しているが実質は宗教組織だ。
現在の倫理研究所理事長は丸山敏秋氏。平成27年に倫理研究所が東京千代田区のホールで開催した「第1回日本創生フォーラム」では櫻井よしこ氏を講演者として迎え、丸山敏秋氏と櫻井氏ふたりによるトークセッションも行われている。

創立70周年記念:日本創生フォーラム開催(倫理研究所ホームページ)
http://www.rinri-jpn.or.jp/business/social/01/nihonsosei.html 

丸山氏は「親学推進協会」の評議員、櫻井よしこ氏は同協会顧問であり、丸山氏は「日本会議」の代表委員でもある。倫理研究所は日本会議構成団体のひとつとして挙げられている。

日本会議代表者大会での櫻井よしこ氏

(FJP)に話を戻すと、福島原発事故が起きる以前、福島県女性経営者プラザは小口会長の時代から、福島第一、第二原子力発電所や新潟県柏崎刈羽原子力発電所の施設を視察するツアーに幾度も参加している。

これはNPO法人「首都圏エネルギー懇談会」が恒例で主催していたミーティング交流会で、首都圏、新潟県、福島県の女性経営者グループが合流して原子力発電所施設を見学し、それにより「原子力平和利用」の様子を「民間一般人」が間接的にPRする、というもの。
この首都圏エネルギー懇談会の事業資金を出しているのは実は電事連で、まわりくどく中立を装った原子力推進プロパガンダと安全広報戦略の一環である。
東北原子力懇談会と密に連携する商工会議所や県商工会女性部と同様、(FJP)もまたエネ懇が組織動員する女性部門の福島要員という一面をもっていた。


「電力業界資金提供:任意団体を後方支援、スタッフ派遣も」毎日新聞

「エネ懇は04年、同調査会会長などを歴任した茅陽一・東大名誉教授を代表に発足。・・震災前の事業規模は年1、2億円で、やはり電事連が提供したという。
エネ懇は、東電による原発の「トラブル隠し」発覚(02年)による原発への不信感を払拭しようと、首都圏の商工会議所の女性会員と福島や新潟の女性との交流会や、自治体主催の環境博などの講師としてタレントの派遣事業を展開した」
http://kirokusec.blogspot.jp/2016/04/blog-post_24.html

「福島県女性経営者プラザの川崎(葉子)会長は、昨年(平成20年)の首都圏エネルギー懇談会主催の柏崎視察の際にも参加...」
http://joseikai.tokyo-cci.or.jp/activity/h21/1014.html

首都圏エネルギー懇談会:女性経営者交流in福島2010
「電気の生産地である新潟県・福島県と、消費地である首都圏との交流を目的にした女性経営者交流は、毎年、東京、新潟、福島のいずれかで開催されています」
http://joseikai.tokyo-cci.or.jp/activity/h22/1210.html

では原発事故以降の福島県女性経営者プラザの動向はどうだろうか。
平成24年には学者たちを相馬市の温泉ホテルに招き、(FJP)会員と一般参加者あわせて約40名枠の移動例会が行われた。
派遣されたのは日本放射線影響学会に所属している3人の放射線専門家で「放射線の人体影響」と題するセミナー勉強会。松本義久氏、松本英樹氏、渡邊正己氏が講師として招かれている。

日本放射線影響学会は、2011年の福島原発事故以降、文部科学省傘下の独立行政法人科学技術振興機構が推進するリスクコミュニケーション事業の委託を受け、福島県内を中心に「放射線健康影響説明Q&A講演会」のプロジェクトを推進しており、多数の小中学校や民間施設をまわり一般市民向け講座を展開している。
所属する松本義久氏は東日本大震災にともなった原発事故の直後からテレビに頻繁に出演。さかんに安全論を唱えていた人物で記憶している方も多いだろう。このプロジェクトの指揮をとる渡邊正己氏も「100mSv以下は問題なし」を支持する専門家のひとりだ。

南相馬市在住のルポライター、奥村岳志氏が検証しているので以下のブログ記事を参考にされたい。
渡邊京大教授の南相馬講演と危険なプロジェクト
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-97.html

日本放射線影響学会という学術団体についての詳細は省くが、以下に並べた画像をざっと観ても大筋の理解は容易だろう。

ここで特筆したいのは、日本放射線影響学会リスコミプロジェクトのスポンサーに福島県女性経営者プラザが入っている事実だ(平成23~24年)。
このような政府系リスコミ事業の推進に対し、(FJP)は賛同支援団体として原発事故後も活動資金提供を行っている。

http://jrrs.kenkyuukai.jp/special/index.asp?id=7168


三田公美子氏がこの(FJP)代表である以上、当団体のこうした方向性についての紛れもない当事者である。
これらの事実と自身が無関係であるかのごとく、ひと括りに「責任は日本人すべてにある」といった都合のいい抽象論でくるむ三田氏のコメントに筆者は違和感を覚えた。セリフ表面の耳ざわりはいいが、これではまるで遠い他人事のような口ぶりだ。

東京新聞:「福島に被ばく者手帳を」 医療費補償求め市民団体発足
代表発起人:三田公美子氏
「原発政策を容認し、環境を汚した責任は日本人すべてにある...」

現在、三田氏は岩城光英議員(安倍自民内閣、現法務大臣)の後援会長をしており、夏の選挙に向けた活動支援を開始している。

だが、「福島に被ばく者手帳を作る会」は設立趣旨を以下のように掲げている。
この言葉を信用できるだろうか。


最後に、誤解のないよう今一度、筆者の考えを述べておきたい。
この「福島に被ばく者手帳を作る会」をどう観るか、人物を含めて賛同できるのか、入会を検討するか否か...等、当然それは各人の判断と選択次第である。
そして当ブログ記事の内容をどう評価するか、参考にするのか、それも読み手側の自由。
ただ、どの様な形であれこの会に関わりを持とうと考えている方は、これらの指摘もあることを情報として踏まえながら再考して頂ければと思う。
名前を連ねている顧問と報道記事で想像していた代表発起人のイメージとは違う印象を受けた方もいらっしゃるだろう。

2011年に三田氏が、他人の名前を勝手に使用した偽の投稿記事を「ザ・ウイークリー」に掲載して「被ばく安全論」を広めようとした動機も、こうした経緯の一端を辿れば、さほど不可解なことではない。
この偽記事投稿も本当に三田氏が言うように自らの意志で行ったのか、それとも誰かから依頼されたことだったのか、真相は闇だ。
いずれにしても当時、この三田氏の呆れた行為に対して多くの批判の声が集まったのは当然のこと。被爆者をこれほど馬鹿にした行為もなかろう。(了)

偽寄稿:被ばく「効能」強調、実在教授名を使う、郡山のタウン紙
http://nkdm4.blogspot.jp/2011/06/blog-post_15.html

「福島に被ばく者手帳を作る会」発起人たちの素性(その1)
https://renree.blogspot.jp/2016/03/blog-post.html