2015年4月14日火曜日

原爆放射線影響研究会「不透明な設置経緯」





原爆放射線影響研究会:

長崎市の公開文書 

不透明な設置経緯 「釈明」に批判強まる /長崎

毎日新聞 2014年01月12日 地方版
長崎原爆の被爆地域拡大に向け長崎市が設置した「原爆放射線影響研究会」の委員(6人)の人選で、市が当初「市と係争中の(被爆体験者)訴訟に係る原告側、被告側双方とも対象外」と内部文書に明記していたことが情報公開請求で分かった。実際には、訴訟の原告側意見書を作成した専門家は除外された一方、市側意見書を作成した専門家が選ばれ、被爆体験者団体が「不平等だ」と批判。設置経緯の不透明さを指摘する声が強まりそうだ。【樋口岳大】
毎日新聞は2013年末、研究会に関する約400枚の文書を情報公開請求で入手した。うち13年7月作成の予算説明書など少なくとも5枚に、被爆体験者が市などに被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟で原告、被告双方に関係する専門家を委員の「対象外とする」と明記していた。
人選を巡っては、被爆体験者団体は、原爆投下直後の米軍マンハッタン管区原爆調査団の測定データなどを基に「広範囲で残留放射線の人体影響があった」とする原告側意見書を作成した本田孝也・県保険医協会長を選ぶように求めたが、市は拒否。一方、本田意見書に反論する市側の意見書を作成した一人の神谷研二・広島大副学長を委員に選んだ。
「双方対象外」と明記しながら、市側の専門家だけを選んだ理由について、市原爆被爆対策部調査課は「あくまでも原案段階の所管課としての考えであり、市の方針ではない。最終的には高い専門性や情報収集のためのネットワークがあることなどを優先し、『双方対象外』は要件から外した」と説明した。
また、研究会の「設置目的」が修正された経緯も判明。13年7月作成の報告書によると、市の担当者が相談した専門家が「会の目的に被爆地域拡大など具体的な事項を入れると、何か成果を求められることにもなりかねないので参加が難しくなる」と述べたことを受け、市は「現在の資料が被爆地域拡大が全面に出ているので、被爆者援護行政全般について専門家から情報や意見を収集する目的に修正すること」と明記していた。
結局、会の研究対象には原爆症や放射線の遺伝的影響も含まれることになり、体験者団体は「私たちに残された時間は少ない。被爆地域拡大だけに絞るべきだ」と批判している。
さらに、本田氏が分析した米軍の測定データについて、県が13年10月、市に「研究会で検証する考えはないか。本田医師の解釈以外のことが想定できないか」と質問したのに対し、市の担当者が「測定値なので、検証のしようがない」などと回答していたことも判明。このデータは同12月の研究会初会合で検証することが決まったが、県に回答していた市の担当者は取材に「個人的な意見で先走り過ぎた。今は検証が必要という専門家の意見を尊重すべきだと考えている」と釈明した。
公開文書から判明したこうした経緯について被爆体験者訴訟第1陣原告団の岩永千代子事務局長は「怒りを感じる。市に説明を求めたい」と語った。
〔長崎版〕


不透明設置経緯、被爆体験者ら抗議 /長崎 

 2014年01月15日

被爆地域拡大に向けた「長崎市原爆放射線影響研究会」の不透明な設置経緯が毎日新聞の情報公開請求で明らかになったことを受け、被爆体験者訴訟の原告団が14日、長崎市に抗議した。
 原爆投下直後に米軍が測定し、訴訟の原告側意見書を作成した本田孝也・県保険医協会長が分析したデータに関し2013年10月、県が「研究会で検証する考えはないか」と質問したことに対し、市の担当者が「測定値なので、検証のしようがない」などと回答していたことが内部文書で判明していた。
 原告団は「被爆地域拡大のためには、専門家に検証を委ねるべきではないのか」と抗議。市の担当者は「私が個人的な意見を申し上げた。反省している」と釈明した。
 また、研究会の委員人選で、市が当初、訴訟に関係する原告側、被告側双方の専門家を対象外にすると内部文書に明記しながら原告側の専門家だけを除外したことなどについても原告団は「不当だ」と抗議した。

【樋口岳大】
〔長崎版〕






委員選任見直し要求 被爆体験者、長崎市に申し入れ /長崎  

2014年01月22日

 被爆地域拡大に向けた「長崎市原爆放射線影響研究会」の不透明な設置経緯が判明したことを受け、被爆体験者でつくる「長崎被爆地域拡大協議会」は21日、市に対し、研究会の委員選任を見直すよう申し入れた。
 委員選任を巡り、市が「被爆体験者訴訟に関係する原告側、被告側、双方とも対象外とする」と内部文書に明記していたことが、毎日新聞の情報公開請求で判明。しかし、実際には、同訴訟で原告側意見書を作成した本田孝也・県保険医協会長が除外された一方、本田意見書に反論する国や市側の意見書を作成した神谷研二・広島大副学長が選ばれた。
 同協議会は「市の基本姿勢が二転三転したことが判明した。裁判で国側に立つ神谷氏を委員にして、被爆地域拡大ができるわけがない」として、本田氏の委員選任などを要求。市は「検討過程で双方対象外という一つの考え方があったのは事実だが、その時点で(正式な市の方針として)決定したわけではない」などと説明した。

【樋口岳大】
〔長崎版〕




被爆体験者、委員選任の見直し再度申し入れ 

2014年02月14日

 被爆体験者でつくる「長崎被爆地域拡大協議会」(峰松巳会長)は13日、長崎市役所を訪れ、市の「原爆放射線影響研究会」の専門委員選任を見直すよう再度申し入れた。
 研究会の委員選任を巡っては、市が「被爆体験者訴訟に関係する原告側、被告側、双方とも対象外とする」と内部文書に明記していながら、国や市側の意見書を作成した神谷研二・広島大副学長を選んだ経緯がある。
 また、同協議会は、福島第1原発事故後、福島県に「放射線健康リスク管理アドバイザー」として派遣された神谷氏と高村昇・長崎大大学院教授が「避難を遅らせた」として当時の福島県民から告訴された、と指摘。再検討を求めた。

【澤本麻里子】
〔長崎版〕




議論は低調 被爆体験者らの批判続出 /長崎  

2014年03月14日

 被爆地域拡大のため長崎市が設置した原爆放射線影響研究会の第2回会合が13日、あったが、約2時間の会議の大半が公開資料の説明や朗読に費やされ、議論は低調だった。傍聴した約50人の被爆体験者から「何のための研究会か」との批判が続出した。
 研究会会長の朝長万左男・日赤長崎原爆病院長は過去の資料などを再検証する考えを示した。次回会合は9月。岡島俊三・長崎大名誉教授が土壌のプルトニウムから被爆体験者の地域での最大被ばく線量を25ミリシーベルトだったと推定しながら国が「健康影響はない」と結論づけた1991年の報告書を再検証する。
 傍聴した「長崎被爆地域拡大協議会」の山本誠一事務局長は「議論の焦点が見えない」と批判。被爆体験者訴訟の原告を支援する平野伸人さんは「被爆体験者が置かれた悲痛な現状を市が打開しようとしているとは思えない」と語った。

【樋口岳大】
〔長崎版〕

取材前線:被爆体験者原告の1割死亡

 高齢化「早期に手帳を」 /長崎

毎日新聞 2014年05月12日 地方版
長崎原爆の被爆体験者が長崎市と県、国に被爆者健康手帳の交付などを求めた第1陣訴訟(2007〜08年提訴)は今春までに39人の原告が死亡し、死亡原告数が提訴時原告(395人)の1割に達した。控訴審が福岡高裁で続くが、原告が全面敗訴した1審・長崎地裁判決から来月で2年となり、高齢化した原告には焦りが募る。【樋口岳大】
原爆投下後、黒い空から灰が降り注ぐなか、防空壕(ごう)から出た少年と少女が小さな浅井戸で水をすする光景を描いた1枚の絵が残っている。すすけた空には真っ赤な太陽が浮かんでいる。3月27日に死去し「39人目」の死亡原告となった長崎市の尾上隆義さん(享年77)の体験を聞いた親類が描いた。
生前の証言記録などによると、尾上さんは8歳の時、爆心の東約11キロの旧戸石村(現長崎市)でいとこたちと遊んでいて、原爆に遭った。「当時は何の知識もなく、灰の積もった野菜などを食べ、生活用水も灰まじりの水を利用していた」(訴訟の陳述書)
尾上さんは65歳を過ぎたころから腰の病がひどくなり、最後は寝たきりになって亡くなった。自らも原告である妻勝子さん(72)は「国の線引きで被爆者と認められないのは許せない」と訴える。
国は爆心から南北約12キロ、東西約7キロの国が定めた区域内で被爆した人を「被爆者」と認めるが、同じ約12キロ以内で原爆に遭いながら区域外にいた人を「被爆体験者」と名付け、医療支援を限定するなど差別的な扱いをしている。「被爆体験者」とされた原告は、放射性降下物を体内に取り込んで内部被ばくした被爆者だと訴え、被爆者健康手帳の交付を求めている。
2011年5月に死去した原告の福田清江さん(享年87)は、爆心の南西約10キロの旧香焼村(現長崎市)の海岸で原爆に遭った。生後8カ月で一緒にいた長男幸博さん(69)と共に爆風で吹き飛ばされたという。近くの造船所で原爆に遭った福田さんの夫幸太郎さん(94)は当時の記憶が徐々に薄れており、幸博さんは「提訴から7年。早く解決してほしい」と語った。
原告の田中智津子さん(72)は、乳がんなどに苦しみ、車椅子での生活が続く。3歳の時、爆心の南西約10キロの旧深堀村(現長崎市)の自宅で原爆に遭った。ずっと体が弱く、50歳を過ぎて甲状腺疾患や脳梗塞(こうそく)にも見舞われた。「寿命はどうにもできないが、一日でも長く生きたい。せめて安心して医療が受けられるようにしてほしい」と訴えた。
〔長崎版〕

2015年4月11日土曜日

長崎「被爆地域適切でない」削除問題で田上市長に謝罪要求





「被爆地域適切でない」削除問題で市長に謝罪要求

  • NCC長崎文化放送
  • NCCテレビニュース 


被爆地域の拡大を国に求めるために長崎市が設けた「放射線影響研究会」の資料の作成に市が関与し「国の被爆指定地域が適切でない」などの文言が削除された問題で10日、被爆体験者らが市長の見解を質しました。

この問題は先月の研究会で配布した広島大学、静間清特任教授の資料の作成に市が関与し

「被爆地域を6.7キロまでとすることは適切でない」
「拡大是正要望地域は16キロまでが適切」

との文言が削られたものです。

市側はこれまで「事実の指摘と教授の見解が混在し分かりにくかったため事前に相談したところ教授も了承し自身で削除した」と説明していました。

被爆地域の拡大を求める被爆体験者側はこの2ヵ所が「最も大事」だとして田上市長の謝罪や原文を市民に公表することなどを申し入れました。

田上市長は
「指示はしていない。静間先生も今回の変更についてはそちら(削除)の方が適切だと考えていたと聞いている。こういった資料について、ご意見を申し上げるということは早々あることではないという風には思う。事実の部分と見解が混在して分かりにくいんじゃないか、むしろしっかりと説明して頂く方がいいんではないかというようなことを考えてご意見申し上げた。その点については静間先生の方も、この段階はある意味準備段階で事務局をはじめ色んな専門家の先生方の意見もお伺いしたいという段階でもあったということもあって事務局とのやりとりも自然に受け入れられたという風に思っている。不本意な形で今回の文章が変更になったということであれば、それは改ざんにあたるかもしれないが、そういった要素ではない。やりとりの中で、ということは是非御理解いただきたい」

と述べました。

市長は謝罪せず、互いの意見は平行線をたどりました。






2015年4月10日金曜日

大矢正人名誉教授(長崎総合科学大学)〔1〕米軍資料で原爆被害解析〔2〕理研の放射線記録入手/長崎




米軍資料で原爆被害解析 /長崎

毎日新聞 2014年09月09日 地方版
長崎総合科学大の大矢正人名誉教授(67)が、長崎原爆投下時に米軍が撮影したきのこ雲の映像や、戦場で核兵器が使用された際に米兵が放射性降下物を予測するためのマニュアルなどを基に、長崎原爆の被害の解明を試みている。大矢さんは「今の時点で我々が持つ疑問について、1次資料を入手して今の科学的知見を活用して解明することが重要だ。それを次世代に残すことが継承につながる」と語る。
大矢さんは神戸市出身。大阪大工学部、同大大学院で応用物理を学び、1974年に長崎造船大(現長崎総合科学大)の講師になった。総科大教授だった故・鎌田定夫さんとの交流を通して原爆問題に関心を持ち、同大の長崎平和文化研究所長などを務めた。現在は、原水爆禁止県協議会の代表理事を務める。

きのこ雲の映像は長崎上空から爆撃機が撮影したもので約8分。米スタンフォード大フーバー研究所から入手した。原爆のさく裂できのこ雲が発生し、時間の経過とともに白い「傘」の部分と黒い「柄」の部分が分離していく様子などが記録されている。
映像からきのこ雲の下に発生した土煙の広がりや、雲の高さなどを解析。また、映像と、衛星写真を地球儀を回すように見ることができるソフト「グーグルアース」の画像を海岸線の地形などを基に重ね合わせ、撮影した爆撃機の高度や位置を分析している。
これとは別に、戦場で核兵器が地表爆発した際に兵士が放射性降下物で被ばくする恐れがある範囲を予測するための米軍のマニュアル(73年)を入手。風力と爆発力から簡易予測できるとされ、長崎原爆のデータをあてはめると、放射性降下物によって1・5シーベルトの被ばくをする恐れがある範囲は、爆心から東方向には16キロにも及ぶことが分かった。
マニュアルは地表爆発を想定しており、地上約500メートルでさく裂したとされる長崎原爆にはそのまま当てはめられないが、いまだ未解明の原爆の放射性降下物の影響を知るうえで、米国が作成した資料は興味深い。
この他、大矢さんは、45年12月〜46年1月に理化学研究所グループが長崎市周辺や島原半島などで測定した残留放射線の測定データの解析などを進めている。大矢さんは「米軍は当初、原爆の放射性降下物の影響はないと述べていたが、長崎の西山地区では実際に高い線量が測定されている。影響を解明するには、残された映像や測定値、体験した人の証言などが重要な役割を果たす」と指摘する。
【樋口岳大】


理研の放射線記録入手 /長崎

毎日新聞 2015年04月09日 地方版
長崎原爆の投下から間もない1945年12月〜46年1月に、理化学研究所のグループが長崎市や島原半島で残留放射線を測定した詳細な記録を、大矢正人・長崎総合科学大名誉教授(68)が入手した。測定した全域について、地図上に約100地点の線量率や測定地点、測定日などが手書きで記録されている。長崎では国の指定地域外で原爆に遭った「被爆体験者」が被ばくによる健康被害の可能性を主張して被爆者と認めるよう訴えているが、大矢氏は「入手した資料により、被爆体験者の区域を含め広範囲の放射線の影響をより詳しく知ることができる」と語る。
原爆投下から4カ月余り後の45年12月25日〜46年1月22日、理研グループの研究者3人が長崎原爆の残留放射線を測定。大まかな測定結果を記した概略図は53年に日本学術会議が発行した「原子爆弾災害調査報告集」に掲載された。その後も測定に参加した一人である故中根良平氏の報告に爆心地や比較的線量が高かった長崎市西山地区など一部地区について詳細な測定図が掲載されたことがあった。しかし、爆心地から約7キロ以遠の被爆体験者の区域を含む地域については、詳しい測定地点や測定日などのデータは知られていなかった。
今回、大矢氏が入手した記録は、測定に参加した研究者の故坂田民雄氏が長年保管し、死後は理研に保管されていた。爆心地や西山地区のほか、被爆体験者の区域を含む長崎市東部や島原半島などで、地図上に測定地点の印が付けられて線量率や測定日などが記されている。「郵便局横」や「岩田屋玄関」など詳しい説明が書き込まれた測定地点もあった。
記録によると、被爆体験者の区域である爆心地の東約8キロの長崎市矢上地区では、45年12月29日に測定された放射線量率は自然放射線の14・7倍で、大矢氏は原爆投下から1年間の被ばく線量を73ミリシーベルトと推定した。東京電力福島第1原発事故で国が避難の目安としている年20ミリシーベルトを上回った。また、同約48キロの島原市では線量率が比較的高く46年1月11日の測定で線量率は自然放射線の3・3倍、1年間の推定被ばく線量は14ミリシーベルトと試算した。
大矢氏は「被爆者援護は原爆被害の実相に基づいて考えるべきだ。記録は、実相に近づくための客観的資料の一つになる」と語った。
【樋口岳大】



2015年4月7日火曜日

「国の線引き、根拠ない」 爆心地東方向、広島大特任教授が指摘 /長崎





原爆放射線影響研究会:

「国の線引き、根拠ない」 

爆心地東方向、広島大特任教授が指摘 /長崎

毎日新聞 2015年04月01日 地方版

長崎原爆の被爆地域拡大を国に求めるため長崎市が設置した「原爆放射線影響研究会」の第4回会合が31日、同市の原爆資料館であり、広島大大学院の静間清特任教授が参考人として講演した。
静間氏は、原爆投下から間もない時期に理化学研究所グループが測定した放射線のデータなどを基に、爆心地から東方向では、国が爆心地から約7キロで実施した被爆地域の「線引き」に、科学的な根拠がないとの見方を示した。
静間氏は、理研グループが1945年12月〜46年1月、主に爆心地から東方向の長崎市周辺や島原半島で放射線を測定したデータについて解説。

これらを基に、爆心地の東約7キロでは放射性降下物による被ばく線量を約20ミリシーベルトと推定し、付近では被爆地域の内外で線量は変わらないと指摘した。
また、爆心地の東約45キロの島原市付近でも、同約15キロ付近と同程度の被ばく線量があったと推定した。
次回会合は9〜10月に開催し、年内の結論を目指す。

【樋口岳大】
〔長崎版〕


「被爆地域適切でない」長崎市関与し削除

  • 2015年04月06日
  • NCC長崎文化放送
  • NCCテレビニュース

長崎市の「原爆放射線影響研究会」の資料の作成過程で現在の被爆地域の線引きを「適切でない」とする専門家の意見が市の関与で削除されていたことが分かりました。


被爆地域の拡大を求める被爆体験者訴訟の原告らは6日、長崎市に抗議を申し入れました。


削除されたのは先月、市の放射線影響研究会で配布した広島大学大学院の静間清特任教授の資料で

被爆指定地域を6.7キロまでとすることは適切でない
拡大是正要望地域は16キロまでとすることが適切

とする2カ所です。


申し入れに対し原爆被爆対策部の野瀬弘志部長は「事実の指摘と教授の見解が混在し分かりにくかったため事前に相談し、最終的には教授の意思で削除した。決して隠蔽する意図があったということではない」と説明しました。


話し合いは紛糾し意見は平行線をたどりました。被爆体験者側は市長の説明を求めています。





原爆放射線影響研究会:被爆体験者ら抗議 

指定地域の見解を削除、長崎市に撤回求める

毎日新聞 2015年04月07日 西部朝刊
長崎市が設置した「原爆放射線影響研究会」で、国の被爆地域(被爆者援護区域)の指定を「適切でない」と記述した専門家の見解が市の意向で配布資料から削除された問題で、長崎の被爆体験者ら約70人が6日、市役所で市幹部らに抗議し、資料の撤回を求めた。

被爆体験者は、被爆地域の外で原爆に遭ったため「被爆者」としての援護が受けられない人たち。同市などに被爆者健康手帳の交付を求めた第1陣訴訟原告団の上戸大典(だいすけ)副団長(73)は「学者の意見が事務局である市の意向で削除されることがあってはならない」と批判。被爆体験者団体「長崎被爆地域拡大協議会」の峰松巳(まつみ)会長(88)は「この文章を削るということは、私たちの要求を抑えることだ」と訴えた。
野瀬弘志・市原爆被爆対策部長は「事実の指摘と(専門家の)見解が混在して分かりにくいと思い、相談した。(専門家も)十分に納得されており、改ざんでも隠蔽(いんぺい)でもない」と説明した。
資料は3月31日の第4回会合で配布。専門家が事前に市に送った文案には「被爆指定地域を(爆心地から)6・7キロとすることは適切でない」などと記されていたが、市のチェック後に削除された。
【樋口岳大】



原爆放射線研究会の専門家見解削除:

県原水禁、長崎市に抗議 /長崎

毎日新聞 2015年04月08日 地方版
長崎市が設置した「原爆放射線影響研究会」で、国の被爆地域の指定を「適切でない」と記述した専門家の見解が市の意向で配布資料から削除された問題で、原水爆禁止長崎県民会議(上川剛史会長)は7日、市に抗議文を提出した。

抗議文は「研究会の委員を飛び越えて、事務方である担当部課長の判断で削除できるのであれば、研究会の存在意義も問われかねない。行政の役割を逸脱しており、言語道断だ」と批判。「市が意図的に改ざんしたとも取れる行為に疑念と不信感を抱かざるを得ない」と指摘した。
一方、野瀬弘志・市原爆被爆対策部長は「事実の指摘と(専門家の)見解が混在して分かりにくいと思い、相談した。改ざんや隠蔽(いんぺい)ではない」と説明した。
資料は3月31日の第4回会合で配布され、専門家が市に送った文案には「被爆指定地域を(爆心地から)6・7キロとすることは適切でない」などと記されていたが、市のチェック後に削除された。被爆体験者や被爆者の団体も抗議し、資料の撤回を求めている。
【樋口岳大】
〔長崎版〕


2015年4月6日月曜日

記者の目: 原爆小頭症患者の被爆69年






記者の目:

原爆小頭症患者の被爆69年

=田中博子(大阪学芸部)

毎日新聞 2014年07月23日 東京朝刊

◇社会は見捨てるのか

母親の胎内で原爆の放射線を浴び、脳や身体に障害を負って生まれた原爆小頭症患者とその家族が集う「きのこ会」。会員の中で、患者の親ではただ一人健在だった川下兼子さん(享年92)が今春、亡くなった。被爆と障害という二重の差別から我が子をかばい生きてきた親がいなくなったことは、戦後70年を来年に控え、被爆者が歩んできた過酷な年月の積み重なりを象徴する出来事のように感じる。
5月24日、広島市であった同会の総会で、涙をぬぐう兼子さんの長女ヒロエさん(68)は、迷子になった幼子のように見えた。身長は140センチほどで、表情はあどけない。いつも寄り添うようにしていた兼子さんは今年に入って体調を崩し、3月9日に亡くなった。
原爆小頭症患者は、妊娠初期の母親の胎内で近距離被爆したことにより、頭が小さく、知的障害などの複合的な障害を負って生まれた人々。全国で20人(3月末現在)が患者に認定され、うち17人がきのこ会に入っている。

◇43歳でようやく被爆の影響認定

2006年夏、私は兼子さんの被爆体験を聞いた。爆心から約1キロ、広瀬北町(現広島市中区)の自宅で被爆した時、妊娠2カ月だったという。屋外にいた夫は4日後に亡くなった。
翌年3月に生まれたヒロエさんは体重が500グラムしかなかった。兼子さんは「長くは生きられんだろう」と思ったという。ヒロエさんは体が小さかったために1年遅れで小学校に入学し、病弱で入退院を繰り返した。中学を卒業したのは20歳だった。兼子さんは土木作業などをして母子二人の暮らしを支えた。
年をとって兼子さんが働けなくなり、それまで暮らしていた北九州市から被爆者支援に手厚い広島市に戻る。ヒロエさんは43歳の時に原爆小頭症に認定され、障害が被爆の影響であることがようやく認められた。
「私たちは一度も離れて暮らしたことがありません。この子が一人になった時のことを思うと本当に不安で……」。兼子さんの口調が切実なものに変わったのは、将来の話になった時だった。
ここ数年はヒロエさんに家事を覚えさせ、市の相談員にお金の管理を相談するなどしていたという。ヒロエさんは今、同会の支援者に支えられながら一人で暮らしている。

◇行き届かない生活のケア

患者が自立して生活するのは難しい。原爆小頭症手当など経済的な援護は整っているが、自分で生活費を管理できない人が多い。きのこ会の要望で国は11年、原爆小頭症患者専任の相談員を広島市に1人配置したが、生活ケアは行き届かず、市外の患者は取り残されたままだ。
昨春亡くなった患者の小草信子さん(享年67)は1992年に父(同89)を亡くして以降、孤独な生活を送っていた。知的障害があり、右足の指は生まれつきなかった。母は幼いころ、姉2人を連れて家を出たきりだった。
信子さんは50代半ばから肝臓障害のため、愛媛県の病院に入院していた。05年に信子さんの病院を訪れたことがある。当時、体調は落ち着いていたが、信子さんが自宅に戻って一人になるのを嫌がり、病院側の好意で入院を続けていることを聞いた。
私が訪ねた時、信子さんは近所に大衆演劇を見に出かけていた。唯一の楽しみだった。劇場に行くと、一番前で舞台にかぶりつくような姿が目に入った。家に戻るつもりはないのかと聞くと、信子さんは「帰っても寂しいだけだもん」と少し笑って答えた。ストレスを感じると手首をかむくせがあるといい、手首の肌は赤くひきつったようになっていた。全身で原爆の理不尽を訴えているように感じた。
昨年3月に信子さんが肝不全で亡くなった時、葬儀に参列したのはきのこ会の長岡義夫会長(65)ら5人だけだったという。
小頭症の兄がいる長岡会長は「67年の人生の最後を見送るのがたった5人とは、いったい何なのか」と悔しさを押し殺すように言った。親が亡くなり、近くに頼れる人がいなければ、世間から見捨てられたも同然だ。小頭症患者の現実を突きつけられたようで、私は胸が苦しくなった。
患者自身も年をとり、取り巻く状況は厳しくなる一方なのに、社会からは見向きもされないまま時間ばかりが過ぎていくことに焦りを覚える。原爆の悲劇を象徴する患者たちにもっと関心を持ち、安心して暮らせる環境づくりを急がなければならない。



2015年4月4日土曜日

長崎原爆:「被爆指定地域、適切でない」 研究会、長崎市意向で削除 専門家の資料案





長崎原爆

「被爆指定地域、適切でない」 研究会、長崎市意向で削除 

専門家の資料案

毎日新聞 2015年04月03日 西部朝刊
長崎原爆の放射性降下物の影響などを検討するため長崎市が設置した「原爆放射線影響研究会」で、専門家の配布資料を市が事前にチェックし、国が指定した被爆地域(被爆者援護区域)の設定を「適切でない」と記述した専門家の見解部分が、市の意向で削除されていたことが分かった。会合を傍聴した被爆体験者たちは「なぜ、区域拡大のために最も重要な部分が削除されたのか」と批判している。

長崎の被爆地域は、被爆当時の行政区域などを基に国が指定しており、爆心地から南北に各約12キロ、東西に各約7キロと細長い形をしている。東西の約7〜12キロにいた人は「被爆体験者」とされ、被爆者と比べ医療支援などが限定されている。被爆体験者たちは区域を半径12キロに拡大するよう要望。市は「国への要望に必要な科学的根拠を探すため」として、2013年12月に研究会を設置した。
問題の資料は3月31日の第4回会合での講演で配布するため、放射線物理学が専門の静間清・広島大大学院特任教授が作成した。市などによると、3月下旬に静間氏が長崎市に送った文案には、結論の部分に「被爆指定地域を(爆心地から)6・7キロとすることは適切でない」「拡大是正要望地域は16キロまでとすることが適切である」と記されていた。
その後、市がその部分を削除した文案を提案し、静間氏も了承したという。会合では削除部分も口頭で説明した。静間氏は取材に「市から『適切でない、という表現はちょっとどうか』と言われ、私としてもデータから言えることだけでいいと思った。不満はない」としている。野瀬弘志・市原爆被爆対策部長は「多くの傍聴者がおり、資料を分かりやすくするためにやっただけで、何かを隠そうとかいう意図は全くない」と説明した。
しかし、市などに被爆者健康手帳の交付などを求めた被爆体験者訴訟第1陣原告団の岩永千代子事務局長(79)は「失望しかない。削除には意図的なものを感じる」と批判している。
【樋口岳大】





刻む・戦後70年:/2 

「体験者」という差別 /長崎

毎日新聞 2015年02月15日 地方版
長崎市茂木町の峯誠孝(まさたか)さん(82)は、長崎原爆に遭ってから69年後の昨年8月に肺がんと診断された。両肺にがんがあり、息苦しい。だが、原爆投下時にいた爆心の南東約8・5キロの旧茂木町は国が指定する被爆地域の外のため、被爆者ではなく「被爆体験者」と扱われている。被爆者なら国が負担するはずのがんの治療費も援護の対象外だ。峯さんは「差別をやめてほしい」と声を振り絞った。

昨年1月、X線検査で胸に異常が見つかった。同8月、両肺にたまった水を抜くと約1リットルもあった。詳しい検査で肺がんと診断された。呼吸は徐々に苦しさを増し、外出できなくなった。医師からは「片方の肺なら手術できたかもしれないが、両肺は無理だ」と告げられ、抗がん剤治療を受けた。
13歳だった1945年8月9日午前、朝から出た空襲警報が解除されたため、防空壕(ごう)から自宅に戻った。家族で昼食を取っていた午前11時2分、ピカッという閃光(せんこう)に驚いて外に出ると、近所の家のガラスが割れていた。「近くの学校に爆弾が落ちた」と思った。しばらくすると、長崎市内の方角に黒い雲がもくもくと上がった。空からは灰や紙切れが降って来た。灰にまみれた野菜を食べ、灰が浮いた井戸からくんだ水を飲んだ。
近くの料亭が救護所になり、爆心方面から運ばれてきた多くの負傷者が収容された。母は救護所の食事の世話に行った。海岸では、救護所で亡くなった人が焼かれていた。母は戦後、がんになり、86歳で亡くなった。父はビルマで戦死。峯さんは戦後、トラックの助手や運転手として働いた。被爆して倒壊した工場などのがれきを片付けに行ったこともあった。
国は1957年に被爆者援護を始めたが、旧茂木町は国による援護の線引きの外になった。国は2002年から峯さんら被爆地域の外で原爆に遭った人を「被爆体験者」と名付け、医療費助成を始めたが、助成は精神疾患などに限定され、がんは対象外だ。妻千鶴枝さん(78)は夫の医療費や交通費の明細を見ながら「ふとかとですよ」と嘆く。
「同じ原爆に遭(お)うとるのにおかしい」。峯さんは被爆者としての援護を求めた集団訴訟に加わり、集会や法廷には欠かさず足を運んでいた。83歳の誕生日でもある16日には、福岡高裁で控訴審の口頭弁論があるが、体がつらくて、もう行くことができない。その日は、放射線治療を始めるため長崎市内の病院に入院する。

峯さんと同じ第1陣訴訟の原告395人のうち、既に47人がこの世を去った。
【樋口岳大】
〔長崎版〕